テルの一室までは、あの露骨さがいやだつた。処が、雪の野原を過ぎて出納係の家に来ると、あの「詩」がある。僕にも解る「詩」がある。佳い「詩」だと思つた。競馬場も貴賓とやらが来るまでは無難。踊り場の空気もいゝ。救世軍の会堂は、傑れた諷刺である。僕は、こやつ凡庸作家に非ずと思つた。解らない白《せりふ》がざらにある。翻訳では無理なエツキスプレツシヨンも多からう。工夫の余地もあらう。がその解らない処にも例の魅力がやつぱりある。軽蔑ができない。尤も趣味といふことになると、これは別だ。
 次に、演出。やはり初めの二場は不満が多い。あとがだん/″\佳くなる。あれだけ「雰囲気」が出せれば申分はない。
 舞台装置は、「思ひつき」としては新しいものでないと云へばそれまでゞあるが、また、あれが表現派だと云つてしまへばそれまでゞあるが、兎に角、現在の日本には珍らしい、そして、意義のある試みである。所謂「真似事」の域を脱してもゐるし、効果も十分である。これまた、趣味の問題になると別に云ひ分はある。が、あれから「新しい美」が感じられなければうそだ。侮つた意味でなく、民衆の好むべき美がある。子供にも解る美がある。そして
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