教養ある相当年配の婦人に扮する場合、今のまま進んだのでは、大に物足りないところがある。之に反して、スクリィンの名優、早川雪洲は、「せりふ」の点にかけては、さすがに難色が見える。工夫に余つて、当てずつぽうな調子さへ処々出て来る。勿論自分でも気がついてゐるに違ひない。あの堂々たる美声をもつてすれば、普通に話をするだけで、普通以上魅力ある「せりふ」となるだらう。
 ここで云ひ落してはならないのは、井上正夫の、底力があり、同時に、陰翳の細かな「せりふ」である。定評もあることながら、一二の模倣者がその「癖」だけを真似て安心してゐるのはやや可笑しい。
 最後に、憚りなく云へば、日本の俳優が、もう少し「せりふ」を大切にし、見物が、もう少し「語られる言葉の美」に敏感であれば、今日の現代劇も、多少は見られるものになるだらう。(一九三一・一)



底本:「岸田國士全集21」岩波書店
   1990(平成2)年7月9日発行
底本の親本:「現代演劇論」白水社
   1936(昭和11)年11月20日発行
初出:「都新聞」
   1931(昭和6)年1月17日
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2007年
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