神的条件をさへ何等かの方法によつて充たさなければならぬ。もちろん、作品の構成はその内容と共に人物の「行為《アクシヨン》」を規定し、その「行為」によつて、ある程度まで人物の精神的条件は表示されるのであるが、その「行為」に伴ふ、或はその「行為」を導くものは、その人物によつて、「語られる言葉」以外のものではない。そこで、その人物に扮する俳優によつて「語られる言葉」は、あらゆる意味に於いて、厳正な批判を受けなければならぬのである。
 第一に、果して、その人物らしく語られたかといふことが問題になる。
 第二に、白として、「語られる言葉」の美を遺憾なく発揮したかといふこと。
 第三に、戯曲全体を通じて、舞台的生命のリズミカルな発展に十分の効果を齎したかといふこと。
 この三つの問題は、常に分離することは不可能であるが、作者は必ずしも人物それ自身をして、所謂魅力ある言葉を語らせようとはしないのである。さういふ場合にも、俳優が、その人物の言葉をいかにその人物らしく語るかによつて、新たに白としての「味」を生じるのである。これが「語られる言葉」の美である。
 作者が意識的に人物それ自身をして魅力ある言葉を
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