ずしも「語られる言葉」に魅力を添へるものでなく、無知が、常に「語られる言葉」を醜くはしない。「衒学的なこと」「くどさ」「固苦しさ」「熱のなさ」等は、知識を売るものゝ陥り易い弊であり、「単純さ」「淳朴さ」は、往々、無知なものの言葉に不思議な生彩を与へることがある。
私は、特にこゝで芸術的、乃至趣味的教養の問題に触れたいのであるが、考へて見るとこれはあまり大きな問題である。たゞ、この問題が、「語られる言葉」の美を殆んど決定的に闡明する問題であることを云ふに止めよう。
「ぶつきら棒な物言ひ」が時に好感を与へ、「如才なさ」が往々反感を招くが如きは、「語られる言葉」と、人物の性格、教養などとの関係を遺憾なく語つてゐるが、こゝにまた職業の問題がある。ある職業にはその職業を反映した言葉遣ひといふものがある。軍人らしい物の言ひ方もあれば、商人らしい物の言ひ方もあり、教師らしいのもあれば、職人らしいのもあり、芸者らしいのもある。そのいづれを取つても、たゞ、それだけではなんの価値もない筈だが、ある場合には、それが、「語られる言葉」の魅力を構成する一要素となるのである。
環境と境遇、即ちある人間の「育ち
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