のである。「文は人なり」といふ格言が半分の真理を含んでゐるとすれば、「話しをして見ると、どんな人間かわかる」といふ常識的観念は、正に九分以上の真理を語つてゐる。
ある人物によつて「語られる言葉」が、当面の事実と心理以外、その人物の年齢、性、性格、教養、職業、環境、境遇、国、時代などを反映してゐることは、誰でも気がつくことであつて、今更説明の必要もないが、「語られる言葉」の魅力は、私の観察によると、かういふいろいろの条件が、その人物の「語る言葉」のうちに、最も色濃く、最も尖鋭に、最も調子高く、その上最も暗示的に表現されてゐる場合に、極めてよく発揮されるのではないかと思ふ。
われわれは、常に、周囲の人物の「語る言葉」を通して、それぞれの人物の人間的魅力を感じ得ることを悦ぶと同時に、何等かの方法によつて、先づその人物を識り、然る後、その「語る言葉」の審美的効果を批判するのである。
言葉の選択が、言葉の調子を生み、言葉の調子が、人物の「声ある姿」となるにしても、ある限られた言葉の表はれによつて、その人物の全幅が示されるものではない。「語られる言葉」の魅力は、ある人物の一面を、最も特色ある
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