」は、「語られる」といふ条件にともなひ、「声」を除外することはできぬ。言葉が、「如何に語られるか」は、「如何なる声」で語られるかといふ重要な点を含んでゐる。
声には、所謂「好い声」と「わるい声」の区別以外に、様々な声のニュアンスといふものがある。
このニュアンスは、例へば楽器の音色のやうなもので、「語られる言葉」の味に、著しい差異をつける。そして、その差異は、啻に感覚的な効果に於いてのみではなく、実に、精神的印象を左右する場合が少くないのである。
「好い声」即ち「美声」の研究については、専門家の手を煩はすとして、私は、ここで、この声のニュアンスといふ問題を、あらまし吟味して見ようと思ふ。
人間の声を、先づ、男の声と女の声とに分けてみる。男の声は、男の声としての美しさをもち、女の声は女の声としての美しさをもつてゐる筈だから、男が女のやうな声を出すことはあまり好ましいことではあるまい。尤も、日本の芝居には、女形といふ変態的存在があり、女形としての美声といへば、舞台化された女の声についていふのであらうが、私は、未だ嘗て、女形の喉から、「美しい」声を聴いたことはない。これは、女形の芸を鑑賞する資格がないからかもしれないが、私は、なんと云はれても女形の「せりふ」だけはその声の点だけで有難いものとは思はない。少くとも、あの女の喉から絞り出される男の声、(実は男の喉から絞り出される女の声)を聞くと、無駄な努力だと思ふ。
西洋では、女優が男の役に扮することがあるが、それは常に年少の男である。男女の声が、まだそれほどはつきり区別されない前の男の声は、中年の女優がさほど無理をせずに出し得る声である。
次に、声を年齢によつて区別することができる。年寄の声と若いものの声――これは男女の区別ほど厳密でないらしい。年寄で声だけ若いからといつて、そんなにをかしくなく、若いものが、比較的老けた声を出しても、それほど聴きづらくない。何れも極端では困るが、半白の老婦人が、妙齢の淑女と、声の区別がつかぬなどは甚だ陽気な話で、高等学校の生徒が大学教授のやうな声であつたら、さぞかし、頼もしからう。
私は、自分の指導してゐる青年俳優に、「老け役」の声といふものを「作る」ことを戒めてゐる。絶対に禁じてゐる訳ではないが、それより大切な「老け方」が、「言葉の調子」の中にあることを注意してゐるのである。
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