一面を強調した「意味ある響のリズム」であり、人間の魂が何ものかに触れて奏で出づる即興曲である。
 一人物の属性は、「語られる言葉」に様々な特色を与へてゐる。
 男には男の言葉があり、女には女の言葉があり、老人には老人の、青年には青年の、子供には子供の言葉がある。男の男らしい言葉は、女の女らしい言葉と共に、ある種の魅力を有ち、老人、青年、子供、それぞれの年齢に応しい言葉は、それぞれ別個の「味」を含んでゐる。
 性格気質も亦、言葉を決定する重大な条件である。性格や気質の分類は、一々これをしてゐる暇はないが、例へば、強気、弱気、神経質、多血質、偏屈、八方美人、何れも、それらしい言葉をもつてをり、何れも、興味の対象となり得るものである。
 教養の程度は、最も言葉の選択に関係し、引いて、「物の言ひ方」を左右する。教養ある男女の言葉に、一種風格ともいふべき魅力を求めることは容易であらう。而も教養の種類方面によつて、その色彩は多種多様である。これも一々例を挙げるわけに行かぬが、一般に教養のないものは、その「語る言葉」に理智的要素を欠き、精神的な感銘を受けることが少い。しかしながら、知識そのものは、必ずしも「語られる言葉」に魅力を添へるものでなく、無知が、常に「語られる言葉」を醜くはしない。「衒学的なこと」「くどさ」「固苦しさ」「熱のなさ」等は、知識を売るものゝ陥り易い弊であり、「単純さ」「淳朴さ」は、往々、無知なものの言葉に不思議な生彩を与へることがある。
 私は、特にこゝで芸術的、乃至趣味的教養の問題に触れたいのであるが、考へて見るとこれはあまり大きな問題である。たゞ、この問題が、「語られる言葉」の美を殆んど決定的に闡明する問題であることを云ふに止めよう。
「ぶつきら棒な物言ひ」が時に好感を与へ、「如才なさ」が往々反感を招くが如きは、「語られる言葉」と、人物の性格、教養などとの関係を遺憾なく語つてゐるが、こゝにまた職業の問題がある。ある職業にはその職業を反映した言葉遣ひといふものがある。軍人らしい物の言ひ方もあれば、商人らしい物の言ひ方もあり、教師らしいのもあれば、職人らしいのもあり、芸者らしいのもある。そのいづれを取つても、たゞ、それだけではなんの価値もない筈だが、ある場合には、それが、「語られる言葉」の魅力を構成する一要素となるのである。
 環境と境遇、即ちある人間の「育ち
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