そんなら、どうして、かういふ役目を引受けたか――そこには一口に云へない理由があるのです。
僕は元来、今現に日本に在るやうな芝居、つまり、歌舞伎劇を始め、新派劇、新劇……さういふ芝居を、もう少しどうかしたいと思つてゐる人間です。自分の力で出来ることなら勿論、人の力、殊に時事新報の読者諸君あたりの力を藉《か》りてでも、骨董趣味、通俗趣味、文学青年趣味の芝居から一歩踏み出した、さうかと云つて、馬鹿に超然と世間を看おろしたやうなものでなくつてもいゝ、芝居は芝居らしく、いくど観ても飽きないやうな、然し、三時間も見てゐればたんのう[#「たんのう」に傍点]するくらゐな、若し云ひ得れば「芸術的な芝居」を造り出したいと思つてゐるのです。
少し言葉が過ぎました。実はさういふ芝居があつて欲しい、どこからか生れて来さうなものだと、常々思つてゐるわけなのです。
そこで、此の『演劇週評』は、僕の希望なり、信念なりを、読者諸君にお伝へする一つの機会にしたい、さうして、それから生れて来るものゝ為めにともども声援者の役目を果したい、そのつもりで、その時々の問題を捉へて、何か云つて見ることにします。
今週は、
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