たいこれはどうしたらいゝのか? この摩擦作用は、長い眼で見てゐればたしかに面白い現象に違ひないのであるが現代に生きてゐるわれわれは、その摩擦の不快な軋音に耳を塞ぐ術さへ知らないのである。
洋服を着た東洋豪傑がレコードの浪花節を聞いてゐれば世話はないやうなものゝ、この風俗が何時までも続くのかと思ふと、日本の前途が案じられる。和服でダンスをやる芸者がお酌をしながら「アイ・ラヴ・ユウ」なんてやるもんだから、こないだ日本へやつて来たコクトオといふフランスの詩人が顔をしかめたのである。なにがどう悪いとは云へない。なにがどうなつてゐるのかわからんところが勘に障るのである。
西洋と日本とを混ぜ合はす場合には、両方の悪いところばかりが目立つせいもあらう。大体に「文化何々」と称するものがインチキ性を帯びてゐるやうに、近頃のインテリ階級ぐらゐ当てにならぬものはない。といふのは、なまじつか西洋をかぢり、そのくせ伝来の封建性から脱けきらず、都合次第で「西洋」と「日本」を使ひ分けようとするから「意識的西洋」は歯の浮くやうなものになり、「無意識的日本」は、野暮そのものになり、次の時代は滔々としてこれに倣ふので
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