ある。
 年寄は口癖のやうに、今の若いものは礼儀を知らんと云ふ。知らんわけではないが、年寄のいふ礼儀とは頭をさげることだと思つてゐるから、そんな卑屈な真似はしたくないと若いものは考へる。それなら、代りになにをするかと云へば、まさか握手や接吻もできないから、なんにもせずにゐるだけの話である。さういふところを年寄りは気がつかない。一度議論をしてみるといゝのだが、これがまた厄介である。年寄りは論語を持ち出すかも知れない。若いものはマルクスと来るかも知れない。どつちもちんぷんかんぷんである。それほどでなくても、両方で、自分たちの生きてゐる時代といふものに対する共通の認識がないから駄目だ。お互がそんなに距つたところにゐる原因を相手の方へ押しつけるだけでは話は進まない。
 さて、結論を急がなければならぬが、どうせこの結論は、問題を即座に解決させるやうなものではない。
 風俗の混乱は、風俗の頽廃と卑俗化を促すといふ僕の見方からすれば、この際、思ひ切つて一切を日本式に還元するか、すべてを西洋式(といつても英独仏露米伊等の何れを採用するか)に塗りつぶすか、その何れかに相談を纏めて、法律で厳重にその実行を促進するより外ないと思ふ。
 僕は、もうこゝまで来たら、西洋式にする方が合理的だと思ふ。それには、西洋の風俗といふものを、始めから研究し直す必要がある。そして、その「近代的」「文化的」な部分を洩れなく取り入れる。さうすると案外「西洋人」の真似をしなくてもすむやうな気がするのである。
 早い話が、和服といふものを廃止するとする。さうしてはじめて洋服が日本人向きに改造されるのである。日本音楽を絶対にやらせぬことにする(大体にセンチメンタルでいかんから)。すると、西洋楽器を使つて、現在の歌謡曲みたいなものもやれないことになる。程度の判別はむつかしいが、これはやつて出来ないことはない。かうなると、音楽家は本気になつて新日本音楽を作ることに努力するだらう。
 所謂「頭をさげる」お辞儀を廃止する。そこで、握手をさせるとなると、その仕方を工夫するやうになる。日本人の性情に合つた、例へば指先だけを触れ合ふやうにつゝましい挨拶の方法を思ひつくだらう。
 そういふ時代が早く来ないものか。



底本:「岸田國士全集23」岩波書店
   1990(平成2)年12月7日発行
底本の親本:「一橋新聞」
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