物理學革新の一つの尖端
長岡半太郎

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)同位元素《アイソトープ》と

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(例)※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)よく/\測定して
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 二十世紀は物理學革命の時期を畫してゐる。ニゥトン以來二百餘年、多少の波瀾を交へて徐々に進歩して來た物理學は、前世紀の末ごろ大なる障碍に逢うて、遂にその針路を轉換せねばならぬやう餘儀なくされた。
 分子や原子に關する研究は、在來の方法では始末に終へなくなつた。第一の暗礁は輻射に關する法則であつて、波長が短くなるに從つて、エネルギーは著るしく集積してくる結果を、古式の理論は提唱した。しかし實驗はこれに對して反證を擧げた。この思ひ懸けない暗礁を乘り越す手段として、プランク(獨人)は輻射は量子的發作に輻射するものと假定し、舵を操つて見たが、幸に實驗に符合する結果を得た。これが一九〇〇年に發表された畫期的論文であつて、輻射エネルギーの量子は、振動數に恒數をかけたもので表はせると論じた。爾來この恒數は、あらゆる類似の現象を考究するに用ひられ、驚くべき好結果を齎した。しかしてこの恒數をプランク恒數と名づけることは、吾人の敢て憚らぬことである。
 その物理的意味を探すに、學者は大に腐心した。アインシュタィンは相對原理に含まれてゐるだらうと推察し、多年これを討究したけれども、どうしても追跡し得ないとの話であつた。誰も失敗の歴史は公表したくないから、彼が辿つた道筋は不明であるけれども、この恒數の的確なる意味を探し出せば、大なる發見である。
 輻射エネルギーが量子的である議論が發表された曉には議論が沸騰した。多くの事物は連續的であるのに、輻射がそんなものであらうとは、突飛な假説であると、古風な學者は非難した。しかし他方面から考へて見ると、全然謂れない空想ではないことが判る。電子の存在は、その時すでに判明してゐた。アルファ粒子の荷電は確かに電子の二倍の陽電荷を有つてゐる。またその質量は水素原子の四倍である。しかして、すべての化學元素の原子の質量は、水素原子の倍數であることは、その後に確かになつた。中に鹽素の如き三五・五倍であつて、何だか疑はしくあつた。三五とも考へられ、三六とも註せられる。よく/\測定して見ると、同じ元素であつても原子の核は違つた質量を有つてゐるものがある。鹽素の原子核は、水素原子核の三五倍のものと、三七倍のものとが混交してゐて、普通は平均値三五・五になるやうな割合になつてゐることが發見された。かやうな元素は同位元素《アイソトープ》と名づけられた。
 このやうな元素は化學元素中大部分を占めてゐる。例へば水銀は六つの同位元素の混合體である。換言すれば元素は水素原子を單位として、倍數の質量をもつてゐる。然らば諸元素からできてゐる物質も、また量子的に構造されてあることは必然である。同位元素の研究は、今なほ進行中である。同位元素間に微少の物理的差違があるけれども、化學作用においては變りがない。今假りに輻射エネルギーがこんなものであるとすれば、別に量子となすも困難はないのである。況や、相對原理は、エネルギーに質量があることを明示してゐるから、輻射量子を理解するに困難はない。現に光は粒子として取扱つても差支ないとの考へを出してニゥトン時代の光微粒子説の一部を復興しようとしたこともある。逆に近ごろは電子が輻射に變じてしまふとまで論ずる學者がある位だ。多くの人は、考へ方が習慣と異つて來ると、思はず暗礁に乘り上げた氣持ちがするから、何となく抗議を申込みたくなる。しかしプランクの破天荒な思索で遂に輻射の疑惑を解釋することができた。これが量子論の發端である。通俗に考ふれば、物質が量子であることが最も理解し易い、また荷電も電氣量子の倍數であることを容易に考へ得る。
 これと前後して明瞭になつたことは、原子が陽電氣を帶ぶる核と、陰電氣を帶ぶる電子の或る數からできてゐて、陰陽相均しき場合に普通の状態に在ることである。しかし原子その物の内部の組織は如何なる仕組であるか判明しなかつた。今原子を商店に例へてみれば、二十世紀はじめころまでは、商店をそとから覗いて商品やその飾り付けを觀てゐたばかりである。量子論が啓けてからこの方面では意外な掘出物をした。今度は商店の内に入つて、その品物の造り方を調べ、店の帳簿まで檢査して見ようと大膽な擧動を發揮してきた。その結果、店先きに在るものは電子ばかりである。その電子がどんなものであるかは單に臆測に止まつて、只陰電氣を帶びてゐることは確かであつても、正體はまだ判明しない。一時は球形であるなどと考へたこともあるが、あながちさうでもない。また電離状態にあるときは、電子が店から外へ飛び出すことがある。普通状況では、店内にある電子の數は決定してゐる。化學作用はこれらの電子が他の商店の電子と結託する作用で起るが、この作用を受くる店の配列は異なつて來るは當然である。
 かくして店の状況はほゞ觀察せらるゝが、今度最も注目すべきは、商店の中央に備へ付けてある金庫の内容である。段々考究して見ると、この金庫即ち原子核は、水素原子、アルファ粒子と電子とが集合してゐる。金庫内に陳列されてある模樣は不明であるけれども、水素原子を單位としてはかれば、その貫目は若干、電子はあるかゞ判然してゐるのみならず、金庫外の商品に相當する電子が、幾何あるかも推定される。かくして元素は水素を一として、一つづゝ順上りになつて、九十二あることが判つた。
 しかして順位は電子單位で計算して、核の荷電に相當する數である。金庫内の價値は極つてゐるが、まだその蓋を開けて、中身を調べた人はない。何れ六ヶ敷い鍵がなければ、點檢することはできまい。吾人は水素原子核や電子が、どんなに配列されてあるかゞ知りたい。ラザフォード(英人)は、快速アルファ粒子を彈丸として金庫破りを試みたが、輕い元素からは水素原子が出て來た驗しがある。しかし重い元素の核は、一向この方法で壞れない。いつか吾人は原子核内の状況を窺ひ得る機會に到達するであらう。その曉には世界の面目は一新せらるゝこと必然である。
 金庫内に秘藏してある品物の状況はまだ判らぬものとして、その周圍にある品物はどうであるかと訊ぬるに、これらは順位が定つてゐて、容易に變換を許さない。即ち核に近い電子と、店先きに近いものとがある、位の高い電子が低いところに移るとき、光を發する。各元素に固有なスペクトルがあることは、この順位が一樣になつてゐないことを證明する。それ故電子の陳列状況を詳にするには、光線を分析せねばならぬ。これは既に分光學で調査されてあつたけれども、その意味は判明しなかつたため、一定の法則の下に整理せずにあつた。
 この好材料を處分するに先鞭を付けたのは、ボーア(デンマーク人)であつた。初めて水素原子のスペクトルについて遺憾なく説明を施した。その説くところによれば、諸原子核に附隨してゐる電子は、惑星が太陽の周りで運行するが如く、軌道を※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]つてをつて、發光するときはその道が變更される。その光波の振動期は、軌道に在る電子のエネルギー變換で極るといふことであつた。この議論が量子論の當初の如くまた槍玉に揚げられたけれども、着々實驗證明を得たので、その説を敷衍し、また證明する實驗が學者の本務のやうに考へられ、物理學上研究論文の大部分はボーア派の獨り舞臺であつた。即ち一九一三年より一九二五年まで十二年間は、物理學史上いはゆるボーア時期なるものを劃成し、原子内の電子について少からざる光明を放つた。然し始めあるものは終りありで、段々調べて行くと、或る元素の發する光線は、どんなに實驗を委しくし計算を施しても、電子の軌道説では解釋されなくなつた。しかのみならず光の強弱や、偏りなどについては、何とも明示することが不可能である缺點を有つてゐたから、修正を施さねばならなくなつた。
 量子説の説明に苦しんだ現象は干渉と※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]折であつた。これは最初から攻撃の的になつた。波動説に從へば何んでもないが、量子が干渉するには特別の機構がなければならぬ。偏りを生ずるには猶更難澁である。この重要なる現象を説明するには單にボーア流の觀察では不滿足であつた。これよりさきアインシュタインは光電池が、煌々と照らされて電子を逸出する作用を論じ、光量子は微粒子の如く、エネルギーである以上はその運動量も同時に考察せなければならぬ。逸出する電子のエネルギーは物質より出るに必要なる仕事を、光量子から引き去つたものと均しと論じたが、この論鋒は正しく、又エッキス線に關するコムプトン(米人)效果に適用されて、光量子が恰も微粒子の如き行動を執れば自ら解決することゝなつた。
 由來光は波動であるとか、微粒子であるとか考へてゐるが、その間に離るべからざる關係があるではなからうか。微粒子が動く場合には、波動に伴はれてゐるであらうとはド・ブロイー(佛人)[#「(佛人)」は底本では「(佛人 」]が説きはじめた事柄である。されば電子を大速度で動かして、エッキス線同樣の結果を得るや否の試驗をなした結果、理論で示す如き波長の線あること證明し、遂に波動電子の觀念を得るに至つた。しかしド・ブロイーの議論は、意味頗る深長であるから、シュレーヂンゲル(墺人)によつて著るしく發展せられ、遂に波動力學として學界に紹介せらるゝに至つた。
 この見方に從へば、ボーア流の電子軌道は抹殺せられ、只その階段的跳躍によつて發光する大議論は不變に殘して置くことゝなつた。結局ボーアの想像した臆説は排除して、その基礎的定理を殘すことになつた。この新しき見解によつて、ます/\實驗に符合する論據を得た。これよりやゝ以前にハイセンベルヒ(獨人)が數學的難澁な經路を踏み、同樣なる結果に到達する方法を考へ出したけれども、難易の見地から、波動力學が專ら行はるゝやうになつた。
 かくの如く變遷した後、電子とか磁子とかいふものゝ正體が判然したかと讀者は問はるゝであらう。これについてはヂラク(英人)の研究があるけれども、まだ蒙昧な状況にあるといつてよろしい。そも/\吾人が最初に解釋すべくして、まださつぱり手のつかない事柄は、陰電氣と陽電氣の差別である。陰量子は電子に宿し、陽量子は水素原子に宿してゐる。しかして核の方は電子より千八百倍の質量を有てゐる。その理由如何といはるれば、只そんな配合に測定せらるゝといふより他はない。この最も重要なる問題が解決せられざる以上、電氣を論ずるもの、物質を説くものは、暗路をたどらねばならぬ。結局根本問題に觸れてをらぬのは、大なる缺陷である。研究はよろしくこの本壘に向つて突進せねばならぬ。電氣を談ずる人が陰陽電氣の本質を辨へざることは古語の論語讀みの論語知らずの如く、そぞろにファウストが慨嘆して(ファウスト悲壯劇第一部夜の段)
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その秘密が分つたら、辛酸の汗を流して
うぬが知らぬ事を人にいはいで濟まうと思つたのだ
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 と獨り言を吐いた感觸を想はしむるのである。
 こゝに僅かだから書いたことは、近ごろの物理學の進路を、汽車の窓から覗くやうなもので、見ても何だか判然しないことが多い。讀者はこれを諒とせられんことを望む。



底本:「隨筆」改造社
   1936(昭和11)年11月20日発行
初出:「大阪朝日新聞」大阪朝日新聞社
   1932(昭和7)年1月4日
※底本では表題の後に「(昭和七年(1932)一月「大阪毎新聞」所載)」とありましたが、正しいと思われる初出を記載し、当該箇所は入力しませんでした。
※疑わしい箇所の訂正に際しては、初出を参照しました。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(
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