られ、遂に波動力學として學界に紹介せらるゝに至つた。
この見方に從へば、ボーア流の電子軌道は抹殺せられ、只その階段的跳躍によつて發光する大議論は不變に殘して置くことゝなつた。結局ボーアの想像した臆説は排除して、その基礎的定理を殘すことになつた。この新しき見解によつて、ます/\實驗に符合する論據を得た。これよりやゝ以前にハイセンベルヒ(獨人)が數學的難澁な經路を踏み、同樣なる結果に到達する方法を考へ出したけれども、難易の見地から、波動力學が專ら行はるゝやうになつた。
かくの如く變遷した後、電子とか磁子とかいふものゝ正體が判然したかと讀者は問はるゝであらう。これについてはヂラク(英人)の研究があるけれども、まだ蒙昧な状況にあるといつてよろしい。そも/\吾人が最初に解釋すべくして、まださつぱり手のつかない事柄は、陰電氣と陽電氣の差別である。陰量子は電子に宿し、陽量子は水素原子に宿してゐる。しかして核の方は電子より千八百倍の質量を有てゐる。その理由如何といはるれば、只そんな配合に測定せらるゝといふより他はない。この最も重要なる問題が解決せられざる以上、電氣を論ずるもの、物質を説くものは、暗路をたどらねばならぬ。結局根本問題に觸れてをらぬのは、大なる缺陷である。研究はよろしくこの本壘に向つて突進せねばならぬ。電氣を談ずる人が陰陽電氣の本質を辨へざることは古語の論語讀みの論語知らずの如く、そぞろにファウストが慨嘆して(ファウスト悲壯劇第一部夜の段)
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その秘密が分つたら、辛酸の汗を流して
うぬが知らぬ事を人にいはいで濟まうと思つたのだ
[#ここで字下げ終わり]
と獨り言を吐いた感觸を想はしむるのである。
こゝに僅かだから書いたことは、近ごろの物理學の進路を、汽車の窓から覗くやうなもので、見ても何だか判然しないことが多い。讀者はこれを諒とせられんことを望む。
底本:「隨筆」改造社
1936(昭和11)年11月20日発行
初出:「大阪朝日新聞」大阪朝日新聞社
1932(昭和7)年1月4日
※底本では表題の後に「(昭和七年(1932)一月「大阪毎新聞」所載)」とありましたが、正しいと思われる初出を記載し、当該箇所は入力しませんでした。
※疑わしい箇所の訂正に際しては、初出を参照しました。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:小林 徹
校正:kamille
2006年9月18日作成
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