では「午蒡汁」]、あん餅くらはんか、卷ずしどうぢや、酒くらはんか、錢がないのでようくらはんか」
[#ここで字下げ終わり]
 と叫んだ。船中で眠い眼をこすりこすり聞けば、いかにも横柄で、こんな奴の品物を買ふもんかと思はしむる。しかし賣子をかすかな燈に照して見れば、しわくちや翁が、水洟たらして、舟を三十石に横付にし、物品と錢の交換を始める。錢は一度握つたら容易に離さぬ風勢で、喰はんか喰はんかと呼んでゐた。夜半空腹となつたころであれば、呼聲に愛想つかしても買はないわけには行かぬ。末の句で錢がないのでよう喰はんかといはれると、意地にも買はざるを得ない。錢の價値をこんなに強調してゐるのは、大阪當時の精神を吐露してゐる。地獄の沙汰も金次第、錢のまうからない奴は相手にならぬ。錢の價値を知らぬ奴は世渡りができぬ。算盤珠のはぢけぬ奴は仲間に入れぬといはぬばかりの口調である。實に徳川の威令嚴かなるころ、この語調を弄して憚らなかつたのは、大阪氣性に叶つたからであるが、さりとも口傳の家康に關する祕密の歴史があるからか、いづれにしても最初にこの特權を獲得した喰はんか翁は、凡人であるまい。
 三十石で伏見から淀川を下るころには、大阪に近づいてもこれを知る目星がなかつた。今は枚方近く來れば巍々として聳えた天守閣を望んで、あそこらが大阪だと指點することができる。夏の陣で燒け落ちた天守閣は再建されて、また雷火で滅び、二百六十餘年間廢墟となつたのが、昭和の聖代に復興されて、太閤當時の偉觀を偲ばしむる。しかも容易に燒落ちない鐵骨コンクリート構造であれば、三度目の天守閣こそ永遠に傳はるは疑いない。太閤[#「太閤」は底本では「太閣」]も地下で定めし笑を含んでゐるであらう。聞くところによれば、復興費は四十七萬圓であつた。日々登覽する人の數から割出してみれば、數年を出でずして原價を償却し得る。こゝに大阪人の凄腕が窺はれる。金は一時出しても無駄には使はぬ、將來天守閣の下に、昔あつた千疊敷を再建しても、餘裕綽々である。大演習の折、暗夜にフラツド・ライトで天守閣を照らした模樣は莊嚴であつた。大阪市上に空中の樓閣を描き、恰も蜃氣樓のやうに宙に浮かんで、その一角には、太閤の姿が髣髴として現はれ、大阪市の繁華を見下しはしないかと思はれた。天守閣こそ大阪市の偉觀といはねばならぬ。
 天守閣から展望すれば、大阪近縣の概略が判明
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