附き合ふんなら、向うは離れるだらうつて脅《おど》かされた。」
「誰がそんな事を云ふんだい。」
「さあ、個人的な名を云ふのはよさう。」
「いゝぢやないか。どうせそこまで云つた以上。――Aかい。Eかい。まさかHぢやあるまいね。」
「Hは黙つてゐた。」
「するとAたちだね。」何故《なぜ》かTは追究して来た。私は「うむ。」と云はざるを得なかつた。
「悪友か。悪友、結構だ。君には悪友が必要なんだよ。投書家さへいつかの論文に、君には悪に穢《けが》れた手と、泥に塗《まみ》れた足が必要だと云つてたぢやないか。一体Aたちにした所が、Kを一人前に人間にして下すつて有難うつて、俺たち悪友どもに向つて感謝すべきなんだ。」Tはさすがに少し気持を悪くしたらしく、それを消すためにそんな事を云つてゐた。
「一体今の文壇には悪友がなさ過ぎるよ。」Y君も相槌《あひづち》を打つた。
 するとS君は膝《ひざ》を乗り出すやうにして、こんな事を云ひ出した。
「K君、僕はいつかつから、君に云はう/\と思つてたんだが、向うが離れるといふんなら、丁度いゝ。これを機会に、君の周囲の連中と、すつかり離れて見たらどうだい。それあ友人といふものは必要でもあり、いゝものには違ひないさ。けれども、いつまで、友だちをたよりにしてゐるのは愚だよ。僕たちは一人で、下らない友情なぞに煩はされずに、生きてゆかなくちやならないんだ。それあ友だちがなければ、ほんとに淋しいと思ふこともあるさ。僕だつてSやなんか白樺《しらかば》の連中と別れた時は、堪らない位淋しかつたもんだ。然《しか》しその位の事に堪へられない位ぢや、迚《とて》もいゝ作家になれないと思つたから、歯を喰ひしばつて我慢した。そしたらいつの間にか馴《な》れて了つて、今では却つてサバ/\したいゝ気持だ。――君も僕の見る所では、どうも今の仲間と離れた方が、君のためにいゝやうだよ。君はあの人たちのやうに、小利口に世間を立ち廻つて、破綻《はたん》のない生活を送れる人とは違ふんだ。三十にならぬ若い身空で、細君を貰《もら》つてすつかり家に収まつたり、巧みに創作の調節を取つて、確乎《しつかり》と文壇の地位を高めて行くと云つたやうな、さう云ふ甲斐性《かひしやう》のある人間ぢやないんだ。君はあの人たちと異《ちが》つて、もつと出鱈目《でたらめ》な、もつと脱線的な生活を送るべき人なんだ。人生つてものは、彼らのやうな、破綻のないものぢやないんだよ。芸術つてものも、彼らのやうに、キチンとしたものぢやないんだよ。――いゝから彼らが離れると云ふんなら、勝手に離れさして了ひ給へ。それは君に取つて、ちつとも差支《さしつか》へがない事だよ。」
 私は此の無茶な談義を、不思議にも其時、心から嬉しく聞いてゐた。そして其間にはS君のどき/\鳴る心臓を、すぐそこに感じてゐた。私の眼には、いつの間にか、そつと涙がこみ上げて来てゐた。
 Tも黙つてゐた。Y君も其間中黙つて、一人嬉しげに点頭《うなづ》いてゐた。余り一座が傾聴したために、S君は少してれて、
「さあ、それぢや人間界の話はこれ位にして、天人どもを招集しようか。」と云ひ出した。
 もう遅かつたけれど、直ちに芸者が呼ばれた。正月のことで、大抵呼んだ顔が揃へられた。而《そ》して又|一頻《ひとしき》り、異ふ意味での談話が盛つた。が、それでも二時近くなると、芸者たちもぽつ/\帰つて行き、割合に近くに住居《すまひ》のあるS君とY君とも、自動車を呼んで、帰る事になつた。
 Tと私とは、すつかり皆の帰つて了つた後に、女気なしで寝る蒲団《ふとん》を敷かせた。
 二人は何か二人きりで、話したくてならぬ事があるやうな気持だつた。
 もう大分夜も更《ふ》けたので、四辺《あたり》はすつかり静かだつた。夜半からぱつたり落ちて了つた風が、たゞ時々思ひ出したやうに、雨戸の外の紐《ひも》か何かを、ぱたん/\と打ちつける音がした。二人は枕元の水をしたたか呑んで、枕を並べて寝についた、電気はもうとうに消してあつた。
 …………私はいろ/\な心持を閲《けみ》した後で、どうも眼が冴《さ》えて眠られなかつた。ふいにごとりとTの寝返りを打つのが聞えた。
「おい。まだ寝ないのかい。」と私は声をかけた。
「まだだ。どうも寝つかれない。」
 私はそこで暫らく暗い天井を凝視《みつ》めてゐた。さうして一人でふゝ[#「ふゝ」に傍点]と笑つた。
「何を笑つたんだい。」Tが闇の中から訊《たづ》ねた。
「なあに、奴らは、僕がかうして君と、此処に寝てゐるのを、夢にも知るまいと思つて。」
 Tはすぐには答へなかつた。そして暫らく経つてから、まるで別人のやうな静かな声音で、
「併し君は幸福だよ。さう云ふ友だちを持つてるだけでも羨《うらや》ましい。」と云つた。
「うむ……。」私は答ふる暇もなく、不意に瞼《まぶた》が熱くなつて来るのを感じた。
[#地から2字上げ](大正八年十月)



底本:「現代日本文學大系 45 水上瀧太郎 豐島與志雄 久米正雄 小島政二郎 佐佐木茂索 集」筑摩書房
   1973(昭和48)8月30日初版第1刷発行
   1982(昭和57)9月5日初版第11刷発行
初出:「文章世界」
   1919(大正8)年10月
入力:伊藤時也
校正:鈴木厚司
2006年9月17日作成
青空文庫作成ファイル:
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