うにゐたAが真打《しんうち》と云つたやうな格で、更に判決でも下すやうに、頤《あご》の先を突き出し乍ら鋭くかう云ひ出した。
「僕もいつかつから、君に云はう/\と思つてゐたんだが、君はあんな生活をしてゐて、ほんとにどうする積《つも》りなんだい。君があゝしてあの連中と一緒に、下らない遊びに耽《ふけ》つてゐればゐる程、僕らは君と遠ざからなくちやならない事になるよ。君はそれでいゝ積りなのかい。」
「仕方がないね。僕のほんとの気持が解つてゐて呉れる筈《はず》の、君らが離れると云ふんなら、僕は仕方がないと思ふよ。――そしていづれ時が来て、僕のほんとの気持が解つたら、又もとへ戻る事もあるだらうから。」
 私はそれを聞くと、満腔《まんかう》の反感を抑へて、取《と》り敢《あ》へずかう答へた。それは私の精一ぱいの強気であつた。私はAがあゝ云つた言葉の中に、『俺に交際《つきあ》つてゐないと損だぞ。』といふやうな、友情の脅威が自ら含まつてゐるのを、何よりも癪《しやく》に障《さは》つて聞き取つたのだつた。
「それなら僕も仕方がないね。――併し、僕は何も君のために良友ぶつて忠告するんぢやないんだよ。僕らのために、いや僕自身のために君が遊蕩をやめて呉れたらいゝと思つてるんだ。君があの連中と一緒に遊び廻つてゐて、いつ行つてもゐないのみか自ら書かないやうにでもなると、僕は非常に淋《さび》しい気がするんだ。君がいつ行つてみても、あの机の前に坐つてゐて、猛然と書いてゐて呉れると、僕はどんなに心強いか、どんなに刺戟を受けるか知れないんだ。僕は君の荒《すさ》む事が、君自身に取つてよりも僕自身に取つて淋しいんだ。」
 Aは更に得意の理論を以て、明快に論歩を進めて来た。私は彼の言葉に対して、何とも反駁《はんばく》のしやうのないのを感じた。が、これだけ整然と、合理的に説かれ乍ら、私は更に彼の態度に、反感の起るのを禁じ得なかつた。なあにAは彼自身、良友ぶつて忠告をしたいのに、彼自身の聡明《そうめい》さが、それを自身で知つてゐるために、わざと此忠告は此方《こつち》の為でなく、彼自身のためだと云つてゐるのだ。そして其実、彼自身の優越から来る、一種忠告慾に駆られてゐるのだ。――とかう裏の裏を見ずにゐられなかつた。かう僻《ひが》んで来ると、私はもう素直な答へが出来なかつた。
「併し僕は君らのために、生活してゐるんぢやないからねえ。」
「けれども君自身に取つても、随分淋しい事だらうと思ふよ。君はそんな生活をしてゐて、朝眼がさめる時などに、堪らない空虚を感じないかい。」
「それはこんな生活をしなくたつて、僕は感じてゐるよ。寧《むし》ろ此頃の方が感じない位だ。」
「では、君はあの生活に満足してゐるのかい。」今度はEが口を出した。彼が口を出すことは、此の私を非難するAの管絃楽の中へ、更に喇叭《らつぱ》を交へるやうに強く響いた。
「満足してゐる訳ではないが、楽しんではゐる。僕は一般の遊蕩児の様に、楽しくもないのに、止むを得ず行《や》つてゐるといふやうなんぢやない。実際僕は楽しいんだ。」
「そんなら猶《なほ》悪いよ。そんな態度は享楽主義も初期ぢやないか。」
「さう云はれても仕方がない。」私はその享楽主義の初期と云ふ適評が、聴いてゐた他の人々に、起さした一種の微笑に対して腹を立て乍ら云ひ切つた。
「兎に角何だね。」又Aが追究して来た。「Hも其点を心配してるんだが、君はそんな生活をしてゐると文壇的に損だと云ふ事も考へなくちやならんね。」
「文壇的に損をすると云ふのは、人気を落すとでも云ふ意味かい。」
「まあさうだ。」
「それなら、僕は意としてゐないよ。」
「それなら物質的に迫られて、此上|濫作《らんさく》をしなくちやならなくなつたり、通俗小説を書かなくちやならなかつたりしても、君のために損ぢやないと云ふのかね。」
 これに対しては、私も答ふる所を知らなかつた。が、答へが出来なかつただけに、没論理の反感が、猶更《なほさら》むら/\と湧《わ》き立つた。Aは実際忠告でなしに、もう明らさまに私を攻撃してゐるのだ。私に対する侮蔑を、忠告の形で披瀝《ひれき》してゐるのだ。――私はかうさへ僻んだ。而して其儘《そのまゝ》むつつり黙り込んで了つた。私の胸の血は、彼らに対する反抗で、嵐のやうに湧き立つてゐた。
 他の人々は此等の対話が始まると、もうぴつたり雑談をやめて了つて、大抵腕を組んだり、下を向いたりして聞き入つてゐた。Hも直接には何とも云はなかつた。彼は黙つて、其癖超然としてではなく、事の経緯《いきさつ》をぢつと聴いてゐた。それが私には気味が悪いと共に、やゝ頼もしくも感ぜられた。がいづれにもせよ彼が、私の味方でない事は解つてゐた。
 たうとう其人たちの中で、私たちより一年前に大学を出て、当時M商店の広告部に入つてゐたK君が、私一人激しく責め立てられるのを見兼ねたものか、
「僕がこんな所へ口を出すのは、変だけれど、もう、そんな話はよした方がいゝね。僕はK君の心持は解つてる積りだが、もし忠告する事があるとしても、もつとプライヴェートにする方がいゝと思ふ。――こんな所でしては、たゞK君を悪い気持にさせるだけだから。」と口を出した。
 此の常識的な言葉には、誰も彼も推服せざるを得なかつた。Aも、
「僕ももと/\こんな事を云ふ積りぢやなかつたんだけれど、つい時の調子でこんな事になつて了つたんだ。Kにはほんとに失敬した。」
 と云つて収まつて了つた。
 そこで又元通り、他の雑談に移らうとしたが、一旦白けて了つた座は、もう元通りにはならなかつた。時間も既に十二時に近くなつてゐた。それで誰云ふとなく散会する事になつて了つた。戸外《そと》には正月の寒い風が吹いてゐて、暗く空が蔽《おほ》ひかぶさつてゐるやうな夜だつた。
 私の胸中は、まだ憤懣《ふんまん》に充《み》ちてゐた。私はそれを訴へたい為に、広小路の方まで歩くと云ふK君と暫《しば》らく一緒に歩くことにした。するとAとEも、そつちの方が道順だつたので、一緒に加はる事になつた。それで私は露《あら》はに、彼等に対する不快を、放散させる事が出来なくなつて了つた。私はたゞ黙り勝ちに、彼らの後を従《つ》いて行つた。
 広小路で四人は別れる事になつた。AとEとが去つた後で、K君は一人残つたけれど、そこへE行の電車が来ると、急に「もう遅いから、矢つ張り此辺から乗つて帰らうかな。」と云つて、
「ぢや失敬する。――今晩の事は、君もさぞ不愉快だらうけれど、皆も決して悪気で云つてるんぢやないんだから、君も悪く思はないで帰り給へ。いゝかい。では左様なら。」と、来た電車に飛び乗つて了つた。
 私は今度こそたつた一人、広小路の真ん中へぽつんと取り残された。夜の更けかゝつた風が、泣きたい思ひの私の両脇《りやうわき》を吹いて通つた。私は外套の袖《そで》を掻《か》き合せ乍ら、これからどうしようかと思つて佇《たゝず》んだ。此儘|大人《おとな》しく家へ帰れる気持には、どうしてもなれないのは解り切つてゐた。
「いけ! 彼処《あそこ》へ!」私の胸の中に、充ち/\てゐた憤懣が、突然反抗の声を挙げた。さうだ。彼等の忠告のすぐその後で、すぐその場へ行くといふ事が、彼等に対する憤懣の唯一の遣《や》り場《ば》であり、彼等に酬《むく》いる唯一の道なんだ!
 私は直ちにS行の電車に飛び乗つて、S町まで来ると、M橋停車場のタクシイを雇つた。
 それから五分と経《た》たぬ中に、私は丸の内を一さんに疾駆するタクシイの中で、しつかと胸の所へ手を組合せたまゝ、彼らに対する反抗で燃えてゐた。
「へん、有難さうな友情。友情が何だ! お為ごかしの忠告。忠告が何だ! 彼等に真の誠意があるならば、あんな所で、あんな殆んど公開の席上で、云はなくてもよからう。況んや、N君のやうな初対面の人たちまで居る所で。――彼らは全然自分たちの友情をひけらかす為と、俺を人の前でやつつける為にのみしたと云はれても、何と云つて弁解する?」
 私は厚い硝子《がらす》を通して、ひたすら前方のみを凝視《みつ》めてゐた。
 二十分かゝらぬ中に、自動車は目的の家へ着いた。私が下り立つと、急いで出迎へた女中が、私の顔を見るなりに、
「まあ、貴方《あなた》でしたか。ほんとによくいらつしやいました。先刻《さつき》から皆さんがお待兼でいらつしやいますよ。」と招じた。
「え、お待兼つて皆んな来てゐるのかい。」私の声は思はず高くなつた。
「えゝ。――さあどうぞこちらへ。」
 私は嬉しさの余り、二段づゝ急いで梯子段《はしごだん》を上つた。座敷に入つてゆくと、皆はもういゝ加減に酔つてゐる所だつた。
「やあ、よく来たな。」
「まあ、早く此処へ来て坐れよ。」
 彼らは声々にかう云つた。私は殆んど手を握らん許《ばか》りに興奮して、彼等の傍に座を占めた。――多分ゐるだらうとは思つてゐたが、かうまで皆が揃つてゐて、しかも自分の来るのを待つてゐたとは、殆んど誂《あつら》へて置いたやうなものだつた。喜んだのは私許りでなかつた。
「これだから、俺は念力つてものを信じるよ。あゝ、信じるとも。信ぜずにゐられないよ。――是《これ》だけ待つてゐたんだから、必ず来る。きつと来るつて僕はさう云つてたんだ。そしたら果して来たぢやないか。」平常《ふだん》から人間の心理的な力といふやうなものに、一種の迷信めいたものを持つてゐるS君はその鋭い秀《ひい》でた眼を少しとろりとさせ、白い小作りな顔をぽつとさせて、首を傾《かし》げ/\云つた。
「今日はね。先刻《さつき》から三人で落合つて、芸者《キモノ》抜きで酒を呑《の》み始めたんだが、S君が僕に人間つてものは面白いものだつて云ひ出してね、この見れば見る程面白い人間つてものを、縦横自在に楽しまうぢやないか。それだのに何故《なぜ》世間の奴等は、ビク/\して此の人間の面白さを味《あぢは》はないんだ。それぢや率先して吾々が、此の人間を楽しまうぢやないかつて、相談一決して、さてその会員の人選に及んだのだが、広い文壇を見渡した所、先づ此処に集つた三人以外には、どうしても君位なものだといふ事になつてね。それから急に君を招集しようと云ふんで、先刻《さつき》から銀座のLとか、I座とか云ふやうな君の立ち廻りさうな要所々々へ電話をかけて、網を張つて待つてゐたんだ。」Tは私が落着くのを待つて、かう詳しく説明した。
 Y君も傍から巨躯《きよく》を揺《ゆす》つて、人懐《ひとなつ》つこい眼を向け乍ら、
「ほんとに待つてゐたんだよ、君。」と云つた。
「ほんとに何処の一流の芸者にしたつて、今夜の君位熱心に掛けられたものはないよ。かうして僕たちは誰も呼ばずに、君の来るのを待つてたんだからね。これで来なかつたら来ない方が嘘《うそ》だ。」S君は更に云つた。
「いや、さうかい。それはほんとに有難う。僕は今迄E軒にゐたんだ。」と私もやうやく二三杯の酒と共に、落着いて話が出来るやうになつた。
「E軒か。さうと知つたら早く電話をかけるんだつた。E軒で何をしてゐたんだ。」
「不愉快な目に会つたよ。」私はわざと投げ出すやうに云つた。
「不愉快な目つてどうしたんだ。」
「なあに実はね。今日僕たち仲間だけの三土会と云ふ会があるつて云ふんで、久しぶりで連中の顔でも見ようと思つて、出かけて行つた所が、ふとした事から僕の遊蕩が問題になつてね、皆から口を揃へて忠告やらを受けた訳さ。余り癪に触つたから、つい其足で飛び出して来たんだ。そしたら此処でかう云ふ始末なんだ。天網恢々《てんまうくわい/\》粗にして洩《も》らさず。――僕はほんとに嬉しくなつちまつた!」
「棄てる神あれば拾う人間[#「人間」に傍点]あり、さ。だから人間会が必要なんだよ。」とY君は自分の諧謔《かいぎやく》に、自ら満足して又|哄笑《こうせう》した。
「で、どんな忠告を受けたんだい。」とTは黙して置けぬと云ふ風に、真面目《まじめ》になつて訊《たづ》ね出した。
「要するに、君たちが悪友なのさ。」
「それで俺達と附き合ふのが不可《いけ》ないとでも云ふのかい。」
「まあさうだ。君たちと
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