つて、右手に少し長い刀を取り上げた。緊張がしばらく彼の顔に漲《みなぎ》る……額のあたりが少し蒼《あを》ざめて、眼が猛々《たけ/″\》しく左腕に注がれた。彼は明かに大根の厚さを計量してゐるらしかつた。そして一二度刀をふり下す拍子を取つて、さつきと同じく「やつ!」と叫ぶと、瞬《またゝ》く間に大根は二つに切断されて床上に散らばつた。
「まあざつとこんな調子です。」彼は吾れと吾が詭術《きじゆつ》に酔つたやうな顔をして四方《あたり》を見廻した。そしてその眼は不自然な凝視で以て重役の上に暫らく止まつた。
「いや御苦労。面白かつた。ではいづれ正式に契約するが、兎《と》に角《かく》チャリネ館へ出て貰ふとしよう。それから君は何か看板になるやうな肩書はないかね。新帰朝以外に。何かかう……米国皇族殿下台覧とでも云ふやうな、……」
「米国に皇族があるもんですか。」作者が笑ひ乍ら云ふ。
「なあに例《たと》へて云つたのさ。皇族が大統領でもかまひはしない。」
「では前大統領ルーズベルト夫人台覧と云ふ事にしませうか。」と手品師が事もなく云ひ放つた。
「そいつはいゝ。ルーズベルトなら獅子狩《しゝがり》にゆくから、その夫人は兎の眠るのを見る位な事はするだらう。」作者が皮肉に口をさし挾《はさ》んだ。
「ではさう云つておどかすとしよう。まああつちの応接間へ来給へ。給金を相談するから。」
 かう云ひ乍ら重役は、普通の興行師とは異《ちが》ふ打明けた態度で手品師を誘つた。
 手品師はそこらの道具を片附けると、もう一度女たちの方を見て、くすんと笑ひ乍ら米国流に尻をふつて従《つ》いて行かうとした。
 其時作者が不意に「君!」と呼びとめた。彼の心にふとさつきの問題が浮び上つたのである。手品師といふ職業。彼は何んだかその心持を訊いて見たくなつた。
「君は初めつから手品師になるつもりで米国へ渡つたのかい。」
「いゝえ、初めは真《ま》つ当《たう》な仕事をするつもりで出かけたんですが、恰度食へなくなつた時、ある手品師の一行に入つて事務員見たいなものをやつたんです。すると見やう見まねでだん/\こんな事が面白くなつて来て、たうとう商売になつて了つたんですよ。」
「ふうむ。あの大根切りなぞは嘸《さぞ》練習が入るだらうね。あれをするのに何年位かゝつたい。」
「さうですな。初めは金箍《かなたが》をはめてやるのですが、かれこれ六年も毎日
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