と肩をすくめた。
「ほんとに行つて来て呉れないか。」と終《しま》ひに重役が云つた。女は口で云ふほど厭らしい様子もなく、笑ひ乍ら大根を求めに出て行つた。
「あゝ鳥渡々々《ちよつと/\》。」手品師が呼びとめた。「しなびたのは不可《いけ》ませんぜ。あなた方のやうに水つぽくて一切りでさくと行くんでなくちやあ。……」かう云ひ乍ら、彼は案内女の方を向いて笑つた。
「では其間に一つ私の面《つら》の皮の厚さ……と云ふよりは額の骨の固さをお目にかけませう。ビール罎を一つ持つて来て下さい。」
 ビール罎が持つて来られた。すると彼はその赤黒い罎をとり上げて事もなげにこつ/\と二度ほど額を叩き、三度目にぐるりと手を振り廻したかと思ふと、やつ! と云ふ懸け声と共に、眉間《みけん》を目がけて発矢《はつし》とばかり打ちつけた。すると其瞬間に彼の額の上から赭《あか》色の硝子片《ガラスかけ》がぱつと光を出して飛び散つた。人々が驚いてその顔の所在を探すと、思ひがけなくも彼はその少し赤らんだ額をまじり/\と撫《な》で乍ら笑つてゐる。……
「よく怪我《けが》をしないものだね。」しばらく呆気《あつけ》にとられてゐた重役が訊いた。
「えゝ。怪我をするだらうと思つて打ちつける時前へ引くと、切ることがあります。打ち付けたまゝ頭の方へ辷《すべ》らすやうにすれば、万に一度の怪我しかありません。」
 暫らくするとそこへ大根を持つて受付の女が帰つて来た。
「ほう、これなら上等々々。あなたはお見立が大変お上手です。」手品師はもう渡り物特有の心易さでそんなお世辞すら云つた。そしていきなり自分の左腕をまくり始めた。可成《かなり》逞《たく》ましい赤黒い腕が、たくし上げた縞のシャツの袖口からくゝられたやうに出て見えた。人々は何をするのかと思つてその赤い腕とその上に載せられた白い大根とを見比べた。
「この大根を此の手の上で真つ二つに切つて御覧に入れます。御覧の通り此の手は贋物《にせもの》ではありません。そんなことを云ふと私のおふくろが怒ります。」
 案内女たちがくす/\と笑つた。彼はそれに元気づいて云つた。
「ひよつとすると私は半分位此手を切るかも知れません。その時は御婦人方の中どなたかが血を啜《すゝ》つたり、白いハンケチで拭《ふ》いて下さるでせうな。では早速乍ら取りかゝりませう。」
 手品師はきつと真面目《まじめ》な顔に還《かへ》
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