った。
午《ひる》ごろになると先生や応援の人たちがちらほらやって来た。選手は昼寝をするはずであったが、それらの人々を対手《あいて》に快活に話を続けた。しかし競漕のことについてはみずからを誇りはしなかった。「今年の選手は不思議に自分で勝つ勝つと言わないね。いつかの選手はもう大丈夫だなんて言っておいて敗けたっけが、今年のような選手がかえって勝つもんだ」なぞと応援に来た先生が賞めたつもりで言ったりした。
しかし選手の心持には今となっては実際勝敗なぞは念頭になかった。それよりも強い要求がおのおのの心にあった。それは一時も早くどちらにか定《き》まってしまう時が来て、堪えがたい緊張感から逃《のが》れたいという望みであった。真に勝負なぞはどうでもいい、ただ感情の弛緩《ちかん》、これが各人の切に欲するところであった。
午後になると晴れたままに風が吹いて来て応援船の旗をはたはたと鳴らした。コースにはかなり荒い波が立った。
しかしいよいよ文農の競漕が初まろうというころになったら、珍らしい夕凪《ゆうなぎ》が来た。
選手は皆、長命寺の中の桜餅屋の座敷で、樺色のユニフォームを着た。それが久野には何だか身が緊ったように感ぜられた。四時十五分前にはそこを出た。四時の定刻に繋留《けいりゅう》しないと競漕からオミットされるからである。土堤では観衆が一種の尊敬と好奇の念をもってこの樺色の衣服を着た選手たちに道をあけた。
文科の短艇《ボート》が先に拍手に送られて台船を離れた。窪田らはいつもより緩やかな調子で漕ぎ出した。そして三十本ほど試漕をした。その時三番の水原がどうした加減か大きなスプラッシュを一つした。皆の顔にちょっとした陰影があらわれた。
「競漕になってからしないように今のうちさんざやっとくさ」と久野は咄嗟《とっさ》の間に悲観している水原を元気づけた。皆はも一度「やり直し」の気味で二十本ほど漕いで、審判艇の差し出す綱へ繋留した。つづいて農科の艇もつながれた。
艇庫と土堤と応援船とから「文科あ! 農科あ! 樺あ! 紫い!」などと言う声が錯綜《さくそう》して起った。審判艇は二つの艇を曳いて発足点へ向った。漕手は皆艇の中へ寝ていた。久野は舵の綱をまさぐりながら、応援の声の多寡を聞き知ろうと思った。どうしても農科の応援の方が多いように思われた。洗い場の辺に久野の友人の松田と成沢が立っていた
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