して二人でまた新らしく後任の誰彼を物色して見た。するとその時ふと窪田が久野のことを思い出した。久野なら高等学校の時、組選の舵を引いて敗けたことがある。その前年に体《からだ》を悪くして転地していたが、もう帰って来ているはずである。現に二三日前も本郷の通りで会った。その時の話ではまた戯曲を書きかけているので、ばかに忙しそうなことを言っていたが、あの男が自分で言うのだから、そう忙しいと定《き》まったわけでもあるまい。まあ行って勧誘して見よう。というようなことに二人は話を定めた。そして津島はまだ会ったことがないのだが、行って二人で攻めたら大抵承知するだろうと言うので、すぐ久野のいる追分の素人《しろうと》下宿へ行った。
 久野はその時、彼の言葉通りに彼の第三番目の習作で、かなり大きな戯曲に取りかかっていた。机の上には二人の来たのを見て、急いで隠くした原稿紙が書物の下からはみ出していた。ちょっとした学生同志の挨拶《あいさつ》が済むと、窪田はちらと机の上に目をやりながら、まだ何用でこの二人が来たのかを推測しかねている久野にいきなり言いかけた。
「実はねえ。短艇の選手が急に一人足りなくなったんで、君にちょっと舵を曳《ひ》いてもらいたいんだが、出てくれないかい。ほんとに困ったんだ」
 久野は用事の意外なのに少し驚いたらしかったが、日焼けのした窪田の顔をそっと微笑《ほほえ》みながら見上げて言った。
「出し抜けに妙なことを持ち込んだものだね。しかし僕を引っ張り出さなくたって、ほかにまだあるだろう。僕なんぞ駄目《だめ》だよ」
「ところがほかにないから君んところへ来たんだ。今もこの津島君のところへ行ったら、論文と結婚で忙しくていけないと言うんだ。それで二人で君しかないと決議して、わざわざ勧誘に来たんだ。どうか頼むから出てくれ給《たま》え」
「僕だって脚本を書いてるんで忙しいんだ。帝文の川田敏郎に今月は是非出すって約束してしまったんだからね」
「なあに、君のは一生の大事と言うほどのことではあるまいじゃないか」
「ところが今の僕にとっちゃ少くとも妻君を貰《もら》うより大問題だからね」と久野は黙って笑っている津島の方へ顔を向けた。ちょっと面を赤めた津島はこの時初めて口を切った。
「そんなことを言わないで、どうか出て下さい。窪田君もこの通り困り抜いてるんですから。メンバアが揃わなくちゃ他の人も練習に
前へ 次へ
全18ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
久米 正雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング