轤ク、人口はほとんど減少しなかったという結論に達することになろう。
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〔訳註〕これとこの次との二パラグラフは、第二版になく、第三版以下のものである。
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 これと同種の変動は、その程度こそ違え、ジュウスミルヒが蒐集した一切の表の死亡、出生、結婚の比率に現われている。そしてこれらの問題に関する論者は、わずか数年の比率から、過去及び将来の計算を余りにも行い勝ちであるから、かかる変動の実例をもう少し挙げて読者の注意を促すのが、有益であろうと思われる。
 ブランデンブルグ選挙伯領では1)[#「1)」は縦中横、行右小書き](訳註)、一七一二年で終る一五箇年間に、出生の死亡に対する比率はほとんど一七対一〇であった。一七一八年で終る六箇年間には、この比率は一三対一〇に下り、一七五二年で終る四箇年間にはわずかに一一対一〇となり、一七五六年で終る四箇年間には一二対一〇であった。一七五九年で終る三箇年間には死亡が著しく出生を超過した。出生の総人口に対する比率は与えられていないが、しかし出生の死亡に対する比率に見られるこの大きな変動が、もっぱら死亡の変動から生じたものではなかろう。出生の結婚に対する比率はかなり斉一で、両極端もわずかに三八対一〇及び三五対一〇に過ぎず、中項は約三七対一〇である。この表では、一七五七年に始まる三箇年までは大きな伝染病はなく、そしてこの表はこの期間で終っている。
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 1)[#「1)」は縦中横] 〔Sussmilch's Go:ttliche Ordnung, vol. i. tables, p. 88.〕
〔訳註〕これ、及びその次の二つの、三パラグラフは、第二版のものに対し第三版で著しく加筆訂正されたものである。
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 ポメラニア大公国では1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]、六〇年間(一六九四年ないし一七五六年、その両年を含む)の出生の死亡に対する比率は一三八対一〇〇であった。しかし六箇年を一期とすればそのある期間では、それは一七七対一〇〇、及び一五五対一〇〇というが如き、高率であった。がまたある期間にはそれは一二四対一〇〇、及び一三〇対一〇〇というが如き低率であった。五年ないし六年を一期とする各期における出生の結婚に対する比率の両極端は、三六対一〇及び四三対一〇であり、
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