謔黷ホ)、約三十五年にして人口を倍加せしめる比率である。しかしもし、二十年ではなく、六四年という全期間をとるとすれば、出生の死亡に対する平均比率は一二対一〇よりもわずか以上となるが、これは一二五年以下では人口を倍加せしめない比率である。もし吾々が余りにも短い期間の中に疫病《ペスト》の死亡率を包含させ、または一七三六年及び一七三七年の伝染病流行の死亡率さえも包含させるとすれば、死亡は出生を超過し、そして人口は減少しつつあるように見えるであろう。
ジュウスミルヒは、疫病《ペスト》流行後のプロシアの死亡率は、三六分の一でなく三八分の一であろう、と考えている。読者の中にはおそらく、かかる出来事によって生じた食物の豊饒はこれより更に大きな差異を生じたはずである、と思うものもいるであろう。ショオト博士は特に、極めて高い死亡率の後には、一般に、異常な健康状態が現われる、と述べている1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。そして私は、この観察は、同年齢を相互に比較すれば正しいものであることを疑わない。しかし、最も好都合の事情の下においても、三歳以下の嬰児は他の年齢よりも死亡しやすいものであり、極めて高い死亡率の後に通常現われる異常な比率の子供は、まずこの時期の自然的健康性を相殺し、そしてこれにより一般死亡率に大きな差異が生ずるのを阻止するのである。
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1)[#「1)」は縦中横] History of Air, Seasons, etc., vol. ii. p. 344.
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疫病《ペスト》流行後のプロシアの人口を一七一一年の死亡数で割ると、死亡率はほとんど三一分の一であり、従って、その年に莫大な数の子供が生れたために減少よりはむしろ増大したことが、わかるであろう。しかし、これらの子供がもっと丈夫な年頃になるや否や、確かにこの死亡率の増大はなくなり、そしてその時には、おそらく、ジュウスミルヒの観察は正しいということになるであろう。しかしながら一般的には、先行する高い死亡率は、死亡よりは出生に対してより[#「より」に傍点]顕著な影響を与えるものであることを、観なければならない。表を見ると、年死亡は人口の増加につれて規則正しく増加し、その間終始ほとんど同一の相対比率を保っていることが、わかるであろう。しかし年出生数は全期間を通じて――こ
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