章で前述した私生児出生の異常な増加によって、説明されるものであり、これは現在は出生総数の十一分の一に上っているが、ネッケルの計算によれば、革命前には四十七分の一であったものである2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。
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 1)[#「1)」は縦中横] 最近公刊された 〔Statistique Ge'ne'rale et Particulie`re de la France, et de ses Colonies.〕 には、第九年についての知事の報告が載っているが、これは右の推測を保証するように思われる。出生は九五五、四三〇、死亡は八二一、八七一、結婚は二〇二、一七七である。これらの数字はネッケルの推算とかなり違うが、しかし本書における一切の計算は、総人口についてもまた一平方リイグ当りの人口比率についても、フランスの旧領土が革命の初期よりも現在の方が人口が多いとしている。憲法議会の時期における人口の見積りについては既にこれを述べた。そしてこの時期において一平方リイグ当りの人口は九九六と計算された。共和制第六年には、土地台帳局の調査の結果は、人口二六、〇四八、二五四、一平方当り人口一、〇二〇を示している。第七年には、デペエルは、フランスの総人口を三三、五〇一、〇九四と計算しているが、そのうち二八、八一〇、六九四は旧フランスに属するものであり、一平方リイグ当りの人口は一、一〇一としている。しかしこの計算は憲法議会の行った第一囘推算を基礎とするものと思われるが、これは後に至って過大なりとして排斥されたものである。第九年及び第十年にはピイドモント及びエルバ島が合併されたので、総人口は三四、三七六、三一三に増加し、一平方リイグ当りの人口は一、〇八六となった。旧フランスに属する数は述べてない。それは約二八、〇〇〇、〇〇〇、であったように思われる。
 かかる計算があるにもかかわらず、この著者はネッケルよりも低い出生倍数をとり、ネッケルの比率は都市では依然正しいけれども、地方では出生率は二一分の一、二二分の一、二二・五分の一、二三分の一と増加していると述べ――これは彼によれば徴兵忌避のための早婚によるものである――そして全体として二五が適当な倍数である、と結論している。しかしもし吾々がこの倍数を採用すれば、人口は二千八百万でなく二千五百万以下となる。実際なるほどた
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