下げ終わり]
疫病《ペスト》が頻々と流行していた間、国が特に健康的でありまた一般的死亡率が極めて低かったと想像するのは、あらゆる蓋然律に反することであろう。いまこの死亡率が、かかる災厄を免れている多くの他の国で現在見られるように、約三二分の一であり、右の最終期における如くに四五分の一ではないと仮定しよう。出生はもちろんその相対的比率を維持し、すなわち、三六分の一1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]ではなく、約二六分の一となるであろう。かくて吾々は、国の人口を出生数によって測定するに当って、時期が異るに応じて二個の極めて異る乗数をもつべきである。従って出生の絶対数は第一期の方が大であるかもしれぬが、しかもこの事実は決して人口がより[#「より」に傍点]大であることを意味しないのである。
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1)[#「1)」は縦中横] Id. table i. p. 21.
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今の実例において、一七の教区の出生の合計は、第一期の七〇年間において、四九、八六〇とされているが、これは一年約七一二となる。これに二六を乗ずれば、一八、五一二という人口が得られる。最終期においては出生の合計は四三、九一〇1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]とされているが、これは一年約六二六となる。これに三六を乗ずれば、二二、五三六という人口が得られる。かくてもしこの乗数が正しければ、証明せんとした減少の代りに甚だしい増加が存在したことが、わかるであろう。
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1)[#「1)」は縦中横] Id. table i. p. 16.
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私が第一期の死亡率を過大に見積らなかったのには多くの理由があるのであるが、なかんずく、ジュネエヴの隣接都市についての計算がそれであって、それによれば、一六世紀には、生命蓋然率すなわち出生者の半数が生存する年齢はわずか四・八八三で四箇年と十分の九以下であり、平均寿命は一八・五一一で約一八年半であることがわかる。十七世紀には生命蓋然率は一一・六〇七で一一年半以上、平均寿命は二三・三五八である。十八世紀には生命蓋然率は二七・一八三すなわち約二七年五分の一に増加し、また平均寿命は三二年五分の一となった1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。
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1)[#「1)」は縦中横] 〔S
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