及び耕作に関して中位の状態にある国においては、死亡率は三二分の一と見做《みな》し得よう。そして人口稀薄な北方諸国では、ジュウスミルヒの三六分の一という比率を当てはめ得よう1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。
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1)[#「1)」は縦中横] Id. p. 127.
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以上の比率は、伝染病の年の結果が十分計算の中に表われているとしても、なお一般死亡率を過大ならしめるように思われる。ヨオロッパのたいていの都市に近年普及してきているように思われる清潔上の習慣の改善は、おそらく、衛生の点で、都市の大いさの増大を埋め合せて余りあるであろう。
一八二五年(訳註――本章の以下の部分は第六版のみに現わる。)
現在の膨脹した形におけるプロシアの人口について一八一七年に人口調査が行われたが、それによると総人口は一〇、五三六、五七一、その中《うち》男は五、二四四、三〇八、女は五、三二〇、五三五であることがわかった(訳註)。出生は四五四、〇三一、死亡は三〇六、四八四、結婚は一一二、〇三四であった。出生の中《うち》五三、五七六、すなわち[#式(fig45455_02.png)入る]は私生児であった。男女出生比は二〇対一九であった。私生児のうち一〇人中三人が、また嫡出児は一〇人中二人が、生後第一年に死んでいる1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。
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1)[#「1)」は縦中横] 〔Supplement to the Encyclopae&dia Britannica, article Prussia.〕
〔訳註〕これらの数字には誤りがある。
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ここに挙げた数字によると、出生対死亡の比率は一四九対一〇〇、出生対結婚四対一、出生対総人口一対二三・二、死亡対総人口、男一対三三、女一対三六、合計一対三四・五、結婚対総人口一対九四となる。死亡以上に出ずる出生の超過が総人口に対する比率は一対六二である。これは、もし継続すれば、人口を約四三年にして倍加せしむべき超過である。しかしながら、この比率がどれだけ継続したかは述べてないから、これからは何ら正確な結論を下すことは出来ない。しかし人口の非常に急速に増加しつつあることには、ほとんど疑いはない。
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第五章 スイスにおける人口に
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