唐rtation, p. 93.
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 ヒュウムが持出している原因のあるものも同様に不満足なものであり、彼が主張せんとする推論を支持するよりもむしろ否定するものである。現代の国家に僕婢やその他独身を続ける多数のものがいるのは、現代国家の方が人口が多いということを否定する論拠であると彼は考えている1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。しかし両者について反対の推論を下す方が、もっともらしいように思われる。一家の扶養に伴う困難が極めて大であり、従って多くの男女が独身生活をしている時には、吾々は至極当然に、人口は静止的であると推論し得ようが、しかしそれが絶対的には大でないとは決して推論し得ない。けだし一家を扶養する困難は、絶対的人口が大であるという事情そのもの、及びその結果たる、一切の生計の途の閉鎖から、生ずるであろうからである。もっとも同一の困難は、疑いもなく人口稀薄な国にも存在し得ようが、しかしそれは人口の静止的な国なのである。全人口に比較しての未婚者の数は、人口が増加しつつあるか、停止的であるか、または減少しつつあるかを判断し得べき、ある標準たり得ようが、しかしこれは、吾々をして絶対的人口多少に関しては、何事をも断定し得せしめないであろう。しかもこの標準ですら、吾々はこれにより欺かれ易い。南方のある諸国においては、早婚が一般的であり、独身の女子はほとんどない。しかも人口は啻に増加しないのみならず、現在数もおそらく小である。この場合において、人口の予防的妨げがない代りに、積極的妨げが過度の力を振ってこれを埋合せているのである。一切の積極的妨げと予防的妨げの総計が、疑いもなく人口を抑止する直接的原因をなす。しかし吾々は、いかなる国においても、決して、この合計を正確に獲得し評定することを期待し得ない。そして吾々は確かに、これらの妨げの二三だけを切り離して考察してみたところで、何らの安全な結論をも引出し得るものではないが、けだし、一つの妨げが過度であれば、その代りにある他の妨げが少くなって相殺されるということは、極めてしばしばあるからである。出生及び死亡に影響を及ぼす原因は、事情によって、平均人口に影響を及ぼすこともあろうし、及ぼさないこともあろう。しかし生活資料の生産及び分配に影響を及ぼす原因は、必然的に人口に影響を及ぼさなければならぬ。従って、吾々が確実に信頼し得るのは、(現実の人口実測を別とすれば)かかる後者の原因だけなのである(訳註)。
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 1)[#「1)」は縦中横] Essay xi.
〔訳註〕以上の四つのパラグラフに該当するところは、第一版では次の如くなっているが、これによってそのかなりの部分が第二版以後と文字通り一致することがわかる。なお第二版以後でも若干の用語上の修正がある。
『ヨオロッパの大部分が昔よりも現在の方が人口の多い理由は、住民の勤労がこれら諸国をしてより[#「より」に傍点]多くの人類生活資料を生産せしめるに至ったことである。けだし私は、輸出入をその中に包含するに足るほどの面積をとり、かつ奢侈や倹約の習慣の程度に若干の相違を認めた上で、人口は、土地が生産せしめられる食物に正比例することは、議論の余地なき主張として打ち樹て得よう、と考えるからである。古代と現代の諸国民の人口の多少に関する論争において、全体としての問題の国の平均生産物が、ジュリアス・ケイザルの時代よりも現在の方が大であることが、明らかに確証され得るならば、争点は直ちに決定されることであろう。
『吾々が、支那は世界中で最も肥沃な国であり、その大きな部分は毎年二毛作を生じ、更に人民は非常につつましく暮している、と確言される時には、吾々は、下層階級の行状習慣や早婚に対する奨励のことをくどくどと研究してみなくとも、人口は莫大であるに違いない、と確実に推論し得よう。しかし、より[#「より」に傍点]以上の人口増加に対する妨げはいかように働いているか、この国の人口支持能力以上に出ずる人口増加を防止する罪悪は何であり困窮は何であるか、を確かめるには、これらの研究は非常に重要なものであり、下層支那人の慣習に関する詳細な歴史は最も有用なものであろう。
『ヒュウムは、その古代と現代の諸国民の人口の多少に関する論文において、彼れのいわゆる原因に関する研究と事実に関する研究とを混同してしまって、ために彼日頃の洞察力をもってしても、彼が挙げている原因の若干は、彼をして古代の諸国民の現実の人口につき、何らかの判断を下さしめる上に、いかに無力なものであるかに、気がついていないように思われる。もし何らかの推論がそれから引き出し得るとすれば、おそらくそれはヒュウムのそれとは正反対でなければならぬ。もっとも私は、かかる問題については何人にも勝って外見に欺かれそうもない人に異見を呈するに当っては、確かに大いに忸怩たるべきであるが。もし私が、古代史のある時期に、一家をもつことの奨励が大であり、従って早婚は非常に普及しており、独身生活を送るものはほとんどないことを、見るならば、私は、人口は急速に増加しつつあったとは確実に推論すべきであるが、しかしそれは当時現実に極めて大であったとは決して推論すべきではなく、むしろ反対に、それは当時稀薄であり、そして遥かにより[#「より」に傍点]大なる人口に対する余地と食物とがあったのだと、推論すべきである。他方において、もし私が、この時期に、家族に伴う困難か極めて大であり、従って早婚はほとんど行われず、両性の多数のものが独身生活を送ったことを、見るならば、私は、人口は停止しており、そしてそれはおそらく現実の人口が土地の肥沃度に比例して極めて大であるからであり、そしてより[#「より」に傍点]以上のものに対する余地と食物とはほとんどなかったと、確実に推論するのである。現代の国家に僕婢やその他独身を続ける多数のものがいるのは、むしろ、現代国家の方が人口が大であるということを否定する論拠であるとヒュウムは考えている。私はむしろこれと反対の推論を下し、これは人口が充満していることの論拠と考えたい。もっとも人口稀薄な国家でしかもその人口が停止的なものが多くあるから、この推論は確実とは云えないが。従って、正確に云うならば、異る時期における、同一のまたは異る国の、全人口に比較しての未婚者の数は、吾々をして、人口がこれらの時期において増加しつつあるか、停止的であるか、または減少しつつあるかを、判断し得せしめるであろうが、しかし吾々がよってもって現実の人口を決定すべき標準をなすものではない、と云い得よう。』1st ed. ch. IV., pp. 55−59.
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 かくの如く人類社会を概観するにあたってこれまで考察を加えた一切の人口に対する妨げは、明かに、道徳的抑制、罪悪、及び窮乏の三つとすることが出来る。
 予防的妨げの中で私が道徳的抑制と名づけた部門は、確かに人口の自然的力を抑止する上で幾分の役割を果してはいるけれども、しかし、厳密な意味にとれば、他の妨げに比較すると、その働く力が弱いことを認めなければならない。予防的妨げの中で罪悪の項目に属する他の部門については、その結果は、ロウマ史の後期及び他の若干の諸国において極めて著しかったように思われるけれども、しかし大体において、その作用は積極的妨げよりも劣ったように思われる。従来は繁殖力の大部分が働かせられ、それから生ずる過剰が暴力的原因によって妨げられたのである。これらの中で、戦争が最も優勢な顕著なものであり、これに次いでは飢饉及び破壊的な疾病が挙げられ得よう。考察を加えた大抵の国においては、人口は平均的な永続的な生活資料によって正確に左右されたことは滅多になく、一般に両極端の間を振動したように思われ、従って、吾々が当然に文明劣れる国に期待すべきように、欠乏と豊富との間の擺動が非常に目立つのである。



底本:「各版對照 マルサス 人口論※[#ローマ数字1、1−13−21]」春秋社
   1948(昭和23)年10月15日初版発行
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
その際、以下の置き換えをおこないました。
「敢て・敢えて→あえて 貴方→あなた 普く→あまねく 凡ゆる→あらゆる 或る・或→ある 雖も→いえども 如何→いか 何れ→いずれ 何時→いつ 一層→いっそう 謂わば→いわば 況んや→いわんや 於いて、於て→おいて 概ね→おおむね 於ける→おける 恐らく→おそらく 拘わらず→かかわらず か知れ→かしれ 勝ち→がち 且つ→かつ 嘗て→かつて 可成り→かなり かも知れ→かもしれ 位→くらい 蓋し→けだし 極く→ごく 茲に→ここに 毎→ごと 之→これ 而して→しかして 而も→しかも 然らば→しからば 然る→しかる 屡々→しばしば 暫く→しばらく 即ち→すなわち 総て→すべて 精々→せいぜい 其の・其→その 夫々→それぞれ 度い→たい 沢山→たくさん 唯→ただ 但し→ただし 忽ち→たちまち 度→たび 度々→たびたび 多分→たぶん 偶々→たまたま 為・為め→ため 丁度→ちょうど 一寸→ちょっと 就いて→ついて 就き→つき て置→てお て居→てお て呉れ→てくれ て見→てみ て貰→てもら 何う→どう 何処→どこ 所が→ところが 所で→ところで とも角→ともかく 乃至→ないし 中々→なかなか 乍ら→ながら 成程→なるほど 許り→ばかり 筈→はず 甚だ→はなはだ 程→ほど 殆んど→ほとんど 略々→ほぼ 正に→まさに 先ず→まず 益々→ますます 又・亦→また 未だ→まだ 迄→まで 儘→まま 間もなく→まもなく 寧ろ→むしろ 若し→もし 勿論→もちろん 以て→もって 尤も→もっとも 専ら→もっぱら 最早・最早や→もはや 稍々→やや 漸く→ようやく 僅か→わずか」
また、底本では格助詞の「へ」が「え」に、連濁の「づ」が「ず」になっていますが、それぞれあらためました。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
※読みにくい漢字には適宜、底本にはないルビを付した。
入力:京都大学電子テクスト研究会入力班(荒木恵一)
校正:京都大学電子テクスト研究会校正班(大久保ゆう)
2004年12月14日作成
2006年5月19日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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