、これを養うことが困難になり、ために多くの民族は移動し、アジアの諸地方のみならずヨオロッパの近接地法をも荒らすのである。』(De Gestis Longobardorum, l. i. c. i.)
『この民族が成立し、その数が大いに増加すると、もはやこれを全部養うことが出来なくなった。伝説によれば、彼らは民族を三つに分ち、そのいずれが故郷を去って新らしい居住地を求めに行くかを、籤できめた。故郷を去り他に土地を求める籤を引いた群は、指揮者としてイボル及びアギオなる、血気|旺《さか》んなゲルマン人を指揮者に選び、住居と植民地とを求めて、親族、朋友、故郷に別れを告げて、出発したのである。』(C. ii.)
 3)[#「3)」は縦中横] De Bello Gallico, vi. 22. De Moribus German. s. xxvi.
 4)[#「4)」は縦中横] De Bello Gallico, vi. 22.
[#ここで字下げ終わり]
 北方の住民は現在よりも昔の方が遥かに多かったという、あり得そうもない仮説を、ギボンは、ヒュウム及びロバトスンと共に、排しているが、これは非常に正しい1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。しかし彼は、これと同時に、北方諸民族の強い増加傾向を否定せざるを得ないものと、――あたかもこの二つの事実は必然的に関連しているかの如くに――考えている2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。けだし過剰人口と実際に多い人口とは常に厳重に区別しなければならない。蘇格蘭《スコットランド》のハイランド地方は、おそらく、大ブリテンのいかなる地方よりも人口が過剰であろう。そして、昔広大な森林で蔽われ、主として家畜や家禽で生活して来た種族3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]が住んでいた、ヨオロッパの北方が、現在よりも当時の方が人口が多かったと云うのは、明白な不合理を主張することであるけれども、しかし『ロウマ帝国衰亡史』に詳説されている事実、または私が今ごく概略述べた事実でさえも、これら民族の最も強大な増加の傾向、及びその再三の損失を自然的多産性により恢復するの傾向、を想像することなくしては、これを合理的に説明することは出来ないのである。
[#ここから2字下げ]
 1)[#「1)」は縦中横] Gibbon, vol. i. c. ix. p. 361.
 2)[#「2)」は縦中横] Id. p. 348.
 3)[#「3)」は縦中横] 〔Tacitus de Moribus German. sect. v. ; Cae&sar de Bell. Gall. vi. 22.〕
[#ここで字下げ終わり]
 サンブリ族の最初の侵入から西ロウマ帝国の崩壊に至る間、植民し掠奪せんとするゲルマン民族の努力は絶えなかった1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。この期間に、戦争と飢饉によって死んだものはほとんど数え得ず、そして人口の水流が極めて異常な力を有つ源泉により補給されない限り、かかる人口稀薄な国がその力を減ぜずに人口を補給し得たはずはなかったのである。
[#ここから2字下げ]
 1)[#「1)」は縦中横] ケイザルはガリアにおいて、アリオヴィストスを戴く最も恐るべき植民地を見、また数年にして全ゲルマン民族がライン河を渡るであろうという恐怖が、一般に拡がっているのを見た。De Bell. Gall. i. 31.
[#ここで字下げ終わり]
 ギボンは、ガリアの辺境地方をゲルマン民族に対して確保しようというヴァレンチニアンの努力を記している。彼は曰う、この敵は、北方の最も遠方の種族から絶えず勇敢な義勇兵を補給されているものであった1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。異種族をわけなく吸収したことが、おそらく、ゲルマン民族が最も破壊的な敗北の後に、かくも急速にその勢力を恢復したやり方であったらしい2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]、と。しかしこの説明は、問題の難点を少し先へやるだけのことである。これは、地球は亀の上にあると説くことになるが、ではその亀は何の上にあるかは云わないのである。吾々はなお問い得よう、この勇敢な冒険者の絶間なき水流を補給した北方の貯水池は何であるかと。この問題に関するモンテスキウの解答は、思うに承認し難いものである。彼は曰う、昔北方から押し出て来た野蛮人の群は、今日ではもはやない、と。そして彼がその理由としてあげていることは、ロウマの暴力は南方の人を北方に駆逐したが、彼らは、この力が続く限りそこに止っていたが、それが衰えるや否や、再びあらゆる国に拡がった、というのである。
[#ここから2字下げ]
 1)[#「1)」は縦中横] Gibbon, vol. iv. c. xxv. p. 283.
 2)[#「2)」は縦中横] Id. ib. note.
[#ここで字下げ終わり]
 同一の現象は、シャアレマン大帝の征服と暴政、及びそれに続くその帝国の滅亡の後に、現れた。そしてもし王侯が――とモンテスキウは曰う――今日ヨオロッパにおいて同様の暴威を振うならば、北方に駆逐され、宇宙の涯《はて》に閉じ込められた諸民族は1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]、三度ヨオロッパに溢れまたは征服する時まで、そこに停止しているであろう、と。そして註の中で彼は曰く、『吾々はこの有名な問題――何故《なにゆえ》に北方はもはや昔ほど人口が充満していないのか、という問題が、何に帰着するかが分る。』と。
[#ここから2字下げ]
 1)[#「1)」は縦中横] 『宇宙の涯に追いつめられた民族はそこを固守するであろう。』〔Grandeur et De'cad. des Rom. c. xvi. p. 187.〕
[#ここで字下げ終わり]
 もしこの有名な問題が、またはむしろそれに対する解答が、上述のところに帰着するのであるなら、それは奇蹟に帰着するものである。けだし何かの神秘的な食物獲得方法がない限り、これらの集った諸民族は、かかる不毛の地で、ロウマ帝国の隆盛期というが如き長期間、いかにして自己を維持し得たかは、いささか理解し難いからである。そして、この恐ろしく大きな群が、宇宙の涯を最後の拠り場として、自分の故郷に戻り、もう一度通常のより[#「より」に傍点]豊富な生活資料にありつき得るまで数百年の間、驚くべき豪気の精神をもって、空気と水で生きている――吾々はこう想像しなければならぬが――勇敢な光景を考えてみたら、何人も微笑せざるを得ないであろう。
 しかしながら、もし吾々が、アメリカに発生したことがかくも周知の事実を当時のゲルマン民族に適用し、戦争と飢饉とによって妨げられないならば彼らは二十五年または三十年でその人口を倍加すべき比率で増加した、と想像するならば、問題全部は直ちに解決するのである。古ゲルマンの住民にこの増加率を適用するの至当なることは、またはむしろ必要なることは、タキトスの残した彼らの行状に関する最も価値多い描写により、はっきりとわかることであろう。彼は、これら民族は都市に住まず、密集せる植民地をさえなしていなかった、と記している。あらゆる人間は、その住宅の周囲に空地をめぐらしている1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。これは、火災に対して安全である上に、流行病の発生を妨げその蔓延を阻止するに非常に適している。『彼らはほとんど皆一人の妻で満足している。夫婦関係は厳重峻厳であり、そしてこの点に関する彼らの行状は最高の賞讃に値する2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。彼らは貞操のよく保護される状態で暮しており、挑撥的な観せ物や享楽の魅惑で紊《みだ》されることはない。姦通は極度に稀であり、売淫に耽るものはない。美しさも、若さも、富も、夫を得るには何にもならぬ。けだしそこでは罪悪を笑って看過する者はなく、相互誘惑を世上の途とする者もいないからである。子供の増加を制限すること、または夫の血統を一人でも失うことは、不名誉とされる。そしてそこでの道徳的行状は、他地方の立派な法律よりももっと効力がある3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]。あらゆる母は自分の子供を哺育し、それを召使や乳母に委ねることはない。青年は晩《おそ》く性交渉を始め、従って青春期を消耗させずに送る。処女が犯されることもない。同一の成熟と同一の成長が要求される。よく均衡した強壮な両性が結合し、そして子供は両親の勢力を継承する。血縁者と親戚が多ければ多いほど、その老後は幸福であり、子供のないのは何らの利点でもない4)[#「4)」は縦中横、行右小書き]。
[#ここから2字下げ]
 1)[#「1)」は縦中横] Tacitus de Moribus Germ. s. xvi.
 2)[#「2)」は縦中横] Id. s. xviii.
 3)[#「3)」は縦中横] Id. s. xix.
 4)[#「4)」は縦中横] Id. s. xx.
[#ここで字下げ終わり]
 かかる行状と、冒険及び移住の習慣を有ち、そしてそれは当然に家族扶養に関する一切の憂慮を取り除くであろうから、これ以上強い人口増加の原理を有つ社会を考えることは困難である。そして吾々は直ちに、ロウマ帝国の軍隊がかくも長期間苦戦し、遂にそのために滅びてしまったところの、後から後から引続いた軍隊及び移民の多産的な源泉がわかるのである。ゲルマンの領域内の人口が、二度続けて、または一度ですら、二十五年で倍加したことがあるとは、思われない。彼らの不断の戦争、粗放な農業状態、なかんずくこの種族の大部分が採用している、自分のまわりに広い荒地をまわす奇妙な習慣は1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]、その人口が実際大いに増加するのを妨げるであろう。この国は人口が過剰のことはしばしばあったが、ちょうどよい人口を有ったことは一度もあり得なかったであろう。彼らは狩猟を行うために広大な森林を放置し、その土地の大部分を牧場に用い、残ったわずかの土地を粗放な農耕に宛て、そして飢饉が囘《めぐ》って来てその資源の乏しいことを教えると、彼らはその住民大衆に食物を与えないその国土の不毛を責めたが2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]、しかしその森林を開き、沼沢を通じ、その土地を増加せる人口を養うに適するようにはせずに他国へ『食物を、掠奪品を、または名誉を求めに行く3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]』のが、彼らの好戦的な習慣と短気な気質に合したのである。これらの冒険者は、自己の剣によって自分の土地を得たか、または色々な戦争中の出来事で斃《たお》れたか、ロウマの軍隊に入られたか、またはロウマの領土に散ってしまったか、またおそらくは分捕品をもって帰り、減少した人員を補充した後新らしい遠征の準備をした。人間の補充は極めて迅速であり、あるものが植民地にやられ、または戦争と飢饉で薙ぎ倒されると他のものがより[#「より」に傍点]以上これを補充するという有様であったように思われる(訳註)。
[#ここから2字下げ]
 1)[#「1)」は縦中横] 〔Cae&sar de Bell. Gall. vi. 23.〕
 2)[#「2)」は縦中横] Gibbon, vol. i. c. ix. p. 360.
 3)[#「3)」は縦中横] Id. vol. i. c. x. p. 417.
〔訳註〕最後の一文はおおむね第一版より、1st ed., p. 50.
[#ここで字下げ終わり]
 問題をかくの如く見るならば北部地方は決して消尽され得なかったのである。そしてロバトスン博士は、かかる侵入の及ぼす災害について述べて、それは、北部地方が順次に大群を送り出したために人間が涸渇し、そしてもはや破壊者を提供し得なくなるまでは、止まなかった、と述べているが1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]、これは彼が論破せんと努めた誤謬そのものに陥るものであり、そして北方民族は実際に非常に人口が多かったということになるのが、わかるであろう。けだし、戦争の殺戮にもかかわらず、ある時期
前へ 次へ
全39ページ中18ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
吉田 秀夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング