る。従って『人口論』各版の差異なるものは、普通に想像されているよりも遥かに大きいものであることがわかるのである。
ではかかる各版の外形的差異によって、理論的内容の上にいかなる変化がもたらされたかというに、その詳細は以下の本文自身が物語るであろうから、ここでは敢えて取り上げないが、ただその理論的差異を解釈する上でのいわゆる『導きの糸』をここに与えておくことは決して無用ではなかろう。
吾々は既に『人口論』第一版の社会的意義が、『英国におけるフランス革命』に対する英国特権階級擁護にあることを見た。この特権階級は、国王、貴族、僧侶、大地主、大資本家等の雑多な要素を含むものであり、ラディカリズムの階級的支持者たる小資本家、小生産者、労働者、無産無職者等に対する意味においてのみ一体をなしていたものである。しかるに『英国におけるフランス革命』が彼らにとり勝利的に終るにつれ、今度はナポレオン戦争の進行に伴って、特権階級の内部における封建的要素とブルジョア的要素との対立が激化して来た。これは主として穀物価格の騰貴による地主利益と資本家利益との対立によるものである。この対立は経済学の範囲においてはマルサス対リカアドウの対立となって現れた。すなわち前者は封建利益なかんずく地主利益の擁護者となり、後者は資本家利益の擁護者となった。すなわち『人口論』は版が進むにつれて、資本家利益に対する封建利益の擁護者としてのマルサスの役割がますます明瞭に露呈されて行くのが見られるのである。
『人口論』各版の進むにつれて見られるもう一つの顕著な点は、その反労働者性である。時の進行につれ地主階級と資本家階級の対立は鮮明になって行ったが、これと共にまた、資本家階級と労働者階級との対立も激化して行った。そして、地主利益の関する限りにおいては反資本家階級的であったマルサスも、事が資本家対労働者の関係に関するものであり、しかも地主階級利益がそれと関しない限りにおいては、今度は反労働者階級的な資本家階級擁護者としてますます明かに現れるのである。
以上二つの観点に立って『人口論』各版の差異を見る時に、その真価は最もよく理解せられ得るのである。
四
既に述べた如くに、マルサスの『人口論』はその出現の時以来、実に異常の反響を喚び起し、悪罵と賞讃は雨の如くにこれに注いだ。すなわちそれに対しては善意悪意の無数の反撃が行われているが、それにもかかわらず、それはまたその出現後まもなく経済学の名著の一つとなり、それは連綿として今日に及んでいる。従って経済学または社会思想を論ずる著書でこれを紹介しまたは批評しないものはほとんどない状態である。だからマルサス批判の書は真に汗牛充棟も啻ならざるものがあるのである。しかしここでは到底その全部を紹介することは出来ないから、極めて簡単な一瞥《いちべつ》を与えてみることとする。
マルサス『人口論』に対する諸批判は、肯定的批判と否定的批判とに分って見るのが便利であろう。前者はマルサス説の大綱はこれを認め、それに若干の加工を加えることによって、これを『発展』せしめんとするものであり、後者はマルサス説の誤謬を指摘してこれを否定せんとするものである。吾々はまず肯定的批判を瞥見《べっけん》して後、否定的批判を見よう。
吾々は右に、マルサスが既に『人口論』の後版において反労働者的な資本家擁護論を説きはじめていることを述べた。しかしこれは、地主階級の利益に触れない限りにおいて、という条件附きのことであって、彼れの理論の主たる擁護利益はどこまでも地主階級利益にあったのである。そこで、肯定的批判の第一歩は、マルサスの理論から地主的色彩を払拭し、これを純然たる資本家階級理論とすることによって行われた。これはいわばマルサスの手を離れて後のマルサス説の第十九世紀的存在状態なのであり、私がマルサス説の第二期と仮称するところのものである。
このマルサス説の第二期は前後二段に分たれる。すなわちその前半はいわゆる収穫逓減の法則の人口理論への採用と労賃基金説の成立とに至るまでの時期であり、その後半はこれが卑俗化され俗流化された後に労働運動無効論=反社会主義の形で大衆の中に宣伝され浸透して行く時期である。そしてこの前後二段の時期を境するものは、ジョン・スチュワアト・ミルである。
マルサス説の第一期から第二期への転換を成就し、前者における地主階級的色彩の一掃に理論的に寄与したもの、すなわちそれの第二期の前半を代表するものは、ジェイムズ・ミル、ナソオ・ウィリアム・シイニョア、ジョン・ラムゼイ・マカロック、及びジョン・スチュワアト・ミルである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。そしてかくして成立した純資本家理論としてのマルサス説こそが、いわゆる労賃基金説である。
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