消費者は同一の貨幣価値の購買をなし得るけれども、彼はより[#「より」に傍点]少量の貨物しか取得しないであろう。またそれが利潤を騰貴せしめるという影響をさえ有つとしても、価格は労賃によっても利潤によっても左右されないから、それは少しも価格を変動せしめないということも、分るであろう。
 そして、アダム・スミスが、『貨物の価格または貨物と比較された金及び銀の価値は、一定量の金及び銀を市場へ齎すに必要な労働量[#「労働量」に傍点]と、一定量の何らかの他の種類の財貨をそこへ齎すに必要なそれとの間の、比例に依存する』と言う時に、彼はこの意見に同意しているではないか? 利潤が高かろうと低かろうと、または労賃が低かろうと高かろうと、この労働量は影響を蒙らないであろう。しからばいかにして価格は高い利潤によって高められ得るのであるか?
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    第二十六章 総収入及び純収入について

(一二二)アダム・スミスは、常に、一国が大なる純所得よりはむしろ大なる総所得から得る利益を過大視している。彼は曰く、『一国のより[#「より」に傍点]大なる資本部分が農業に用いられるに比例して、それが国内において働かせる生産的労働量はより[#「より」に傍点]大となるであろう。その使用が社会の土地及び労働の年々の生産物に附加する価値も同様であろう。農業に次いで、製造業に用いられる資本が生産的労働の最大量を働かせ、そして年々の生産物に最大の価値を附加する。輸出業に用いられるそれは、これら三つのうち最小の結果しか有たない。』(註)
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(註)セイ氏はアダム・スミスと同一の意見を有っている。『その国一般にとって最も生産的な資本の用途は、土地に投ぜられた資本に次いでは製造業及び国内商業のそれである。けだしそれは利潤がその国内で得られる産業を活動せしめるが、他方外国貿易に用いられる資本はすべての国の勤労と土地とをして無差別的に生産的ならしめるからである。
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『一国民にとって最も不利な資本の用途は、一外国の生産物を他の外国へ輸送するそれである。』セイ、第二巻、一二〇頁。
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 このことをしばらく真実なりとしよう。もし一国が多量の生産的労働を用いようとまたはそれ以下の分量を用いようと、その純地代及び利潤の両者が同一であるなら
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