に傍点]。価格がそれ以上であるかないかは、需要に依存する。』
この章句は当然読者を導いて、この著者は地代の性質を誤解せず、そして彼は社会の必要がその耕作を要求する質の土地は、『その生産物の通常価格[#「その生産物の通常価格」に傍点]』に依存し『それが土地の耕作に用いられねばならぬ資本並びにその通常利潤を償うに足る[#「それが土地の耕作に用いられねばならぬ資本並びにその通常利潤を償うに足る」に傍点]』か否か[#「か否か」に傍点]、に依存することを知っていたに相違ない、と結論せしめるであろう。
しかし彼は、『土地の生産物中には、それに対する需要が常に、それを市場に齎すに足る程度よりもより[#「より」に傍点]大なる価格を生ぜしめるが如き大いさなければならぬある部分がある』という観念を採っており、そして彼は食物をもってかかる部分の一つと考えたのである。
彼は曰く、『土地は、ほとんどいかなる位置にあっても、食物を市場に齎すに必要なすべての労働を、この労働がかつて維持されたことのないほど最も豊かに維持するに足るよりも、より[#「より」に傍点]多量の食物を生産するものである。その剰余もまた常に、その労働を雇傭する資本並びにその利潤を償うに足るよりもより[#「より」に傍点]多い。従って常に若干のものが地主に対する地代として残るのである。』
しかしこれについて彼はいかなる証明を与えているか? ――次の主張以外にはない、すなわち『ノルウェイ及びスコットランドにおける最も不毛な沼地も家畜に対するある種類の牧草を生産するが、その牛乳及び繁殖は常に、啻に家畜を飼養するに必要なすべての労働を維持し、かつ農業者または牛群あるいは羊群の所有者に通常利潤を支払うのみならず、更に地主にあるわずかの地代を与えてなお余りがある。』さて私はこのことについて一つの疑《うたがい》を挟むことを許されるであろう。私は、今日でも最も未開のものから最も文明の進んだものに至るまでのあらゆる国において、土地に用いられた資本並びにその国の通常利潤を償うに足る価値を有つ生産物を産出し得ざるが如き質の土地があると信ずる。アメリカではこれが事実であることを吾々はすべて知っているが、しかもなお何人も、地代を左右する諸原理がアメリカとヨオロッパとで異っているとは主張しない。しかしもし英国が極めて耕作において進歩しているために、
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