労働をもって製造されるに至り、ためにそれがその以前の価値の半分に下落すると仮定するならば、これらの貨物を購買したすべての者の富は増加されるからである。ある人は彼の皿の分量を増加し、他の人は二倍の分量の天鵞絨《ビロード》を購買するであろう。しかし、この附加せられた皿や天鵞絨《ビロード》を得ても、彼らは以前と同一の労働しか用い得ないであろう。けだし天鵞絨《ビロード》や皿の交換価値が下落するにつれて、彼らは一日の労働を購買するためにこの種の富をそれに比例してより[#「より」に傍点]多く手離さなければならぬからである。富はかくて、それが購買し得る労働量によっては測定され得ないのである。
(九七)前述せる所からして、一国の富は二つの方法で増加され得べきことが分るであろう。すなわちそれは、より[#「より」に傍点]大なる部分の収入を生産的労働の維持に用いることによって増加され得よう、――これは、啻に貨物の総体の量を増加するのみならず、更にその価値をも増加するであろう。もしくはそれは、附加的労働量を用いることなしに同一量をより[#「より」に傍点]生産的ならしめることによって増加され得よう、――これは貨物の量を増加するであろうが、その価値は増加しないであろう。
第一の場合においては、一国は、啻に富んで来るのみならず、更にその富の価値も増加するであろう。それは節倹により、すなわち奢侈や享楽の対象物に対するその支出を減少することにより、そしてこれらの貯蓄を再生産に用いることにより、富んで来るであろう。
第二の場合においては、必ずしも、奢侈品及び享楽品に対する支出の減少も、用いられる生産的労働量の増加もなく、同一の労働をもってより[#「より」に傍点]多くのものが生産されるであろう。富は増加するが価値は増加しないであろう。富を増加せしめるこれら二つの方法の中《うち》、後者は、第一の方法には必ず伴わざるを得ない享楽品の欠乏及び減少なしに同一の結果を挙げる故に、それを選ばなければならぬ。資本とは、一国の富の中《うち》、将来の生産を目的として用いられる部分であり、そして富と同一の方法で増加せられ得る。附加的資本とは、それが技術及び機械の改良によって得られようとも、またはより[#「より」に傍点]多くの収入を再生産的に用いることによって得られようとも、将来の富の生産には等しく有効であろう。富は常に
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