その所有者の享楽に寄与するであろう。貨物、すなわち人生の必要品、便宜品、及び享楽品の分量を減少することによって富を増加し得ると主張され来ったのは、価値と富との観念の混乱の結果である。もし価値が富の尺度であるならば、このことは否定し得ないが、けだし貨物の価値は稀少によって騰貴するからである。しかしもしアダム・スミスが正しいならば、もし富は必要品及び享楽品から成るならば、富は分量の減少によっては増加され得ないものである。
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(註一)アダム・スミスは曰く、『貨物及び労働の真実価格と名目価格との間の区別は、単なる思弁上の事柄ではなく、時に実際上に極めて有用であろう。』私は彼に同意する。しかし労働及び貨物の真実価値は、アダム・スミスのいわゆる真実尺度たる所の財貨で測られた価格によって確められないことは、それが、彼のいわゆる名目尺度たる所の金及び銀で測られた価格によって確定されないのと同様である。労働者は、彼れの労賃が多量の労働の生産物を購買する場合にのみ、彼れの労働に対し真実に高い価格を支払われているのである。
(註二)その第一巻一〇八頁において、セイ氏は、『同一分量の銀は同一分量の穀物をを購買するであろうから、』銀は今日ルイ十四世の治下におけると同一の価値を有つと推論している。
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 稀少なる貨物を所有する人は、もしそれによって人生の必要品及び享楽品のより[#「より」に傍点]多くを支配し得るならば、より[#「より」に傍点]富んでいることは、真実である。しかし、各人の富の源泉たる一般的貯財は、ある個人が自分自身により[#「より」に傍点]多量を占有し得るに比例して必然的に減少しなければならない。
 ロウダアデイル卿は曰く、水をして稀少ならしめ一個人に独占的に所有せしめるならば水は価値を有つであろうから、彼れの富は増加されるであろうし、またもし国富が個人の富の総計であるならば、同一の手段によって国民の富も増加されるであろう、と。疑いもなくこの個人の富は増加されるであろうが、しかし、単に以前には無償で得ていた水を得んがために、農業者は彼れの穀物の一部分を、靴製造業者は彼れの靴の一部分を売らなければならず、そしてすべての人は、彼らの所有物の一部分を抛棄しなければならないから、彼らはこの目的に当てざるを得ぬ貨物の全量だけよ
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