更に将来の生産力を増加せしめているとはいえ、吾々は、同一の手段によって、不断に、以前に生産された貨物のあるものの価値を減少せしめるのである。経済学上の誤謬の多くは、この問題に関する誤謬、すなわち富の増加と価値の増加とをもって同じことを意味すると考えることから、また何が、価値の標準尺度を成すかについての根拠なき観念から、生じたものである。
(九六)ある人は貨幣をもって価値の一標準と考えている。そして彼によれば、一国民は、その有するすべての種類の貨物と交換され得る貨幣量の多少に比例して、富みまたは貧しくなるのである。他のものは、貨幣をもって交換の目的のための極めて便利な一媒介物ではあるが、しかしそれによって他物の価値を測定する適当な一尺度とは云えないとする。彼らによれば、価値の真実の尺度は穀物であり(註一)、そして一国は、その国の貨物と交換される穀物の多少に従って、富みまたは貧しいのである(註二)。更に他のものは、一国はそれが購買し得る労働量に従って富みまたは貧しいと考える。しかし何故《なにゆえ》に金や穀物や労働は、石炭や鉄以上に、――毛織布や石鹸や蝋燭やその他の労働者の必要品以上に、――価値に標準尺度となるべきであるか? ――略言すれば、何故《なにゆえ》にある貨物もしくはすべての貨物全体が、それ自身が価値において変動を蒙るのに、この標準となるべきであるか? 穀物は金と同じく生産の難易によって他物に比して一〇%、二〇%、または三〇%変動し得よう。何故《なにゆえ》に吾々は、変動したのはこれらの他物であって、穀物ではない、と常に言わねばならぬのか? 常にその生産に骨折と労働との同一の犠牲を必要とする貨物のみが不変なのである。吾々はかかる貨物の存在を知らない。しかし吾々は、それを知っているかの如くに仮設的にそれについて論じてよかろう。そして在来採用され来ったすべての標準が絶対的に無能力なことを明確に示すことによって、斯学に関する吾々の知識を進めることが出来るであろう。しかし、これらのもののいずれかが価値の正しい標準であると仮定しても、しかもなお、富は価値に依存するものではないから、それは富の標準とはならないであろう。人は、彼が支配し得る必要品及び奢侈品の多少によって富みまたは貧しいのである。そしてその貨幣や穀物や労働に対する交換価値が高かろうと低かろうと、それらのものは等しく
前へ 次へ
全346ページ中224ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
吉田 秀夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング