宴塔h》は常に凶作に襲われており、時には恐るべき飢饉にすら襲われている。一六三五年、一六八〇年、一六八八年、十六世紀(訳註)末の数年、一七四〇年、一七五六年、一七六六年、一七七八年、一七八二年及び一七八三年は、いずれも各所で、欠乏の大厄年として指摘されている。一六八〇年には、この原因のために極めて多数の家族が死滅して、ためにこの人口稠密な六|哩《マイル》に亙って人煙を見ざるに至った1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。十六世紀(訳註)末の七年間は、凶年と呼ばれた。モントキュイッタアの教区に関する報告の筆者2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]の言によれば、その近隣の一農場の一六家族のうち一三家族が絶滅し、もう一つの農場では、一六九人のうち、わずかに三家族が(土地保有者も含めて)生き残ったに過ぎなかった。現在百人も住んでいる広大な農場が、全く荒廃に帰してしまって、放羊場に変えられた。この教区の住民は、一般に死亡によって半減し、またあるものの主張によれば四分の一に減少した。一七〇九年に至るまでは多くの農場は荒地となっていた。一七四〇年にはまたも凶作が起り、貧民は死にはしなかったが極度の窮
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