ーを養育する見込がないので、生れたばかりの幼児を畠に棄てて殺すのである。これはいかに憎むべき罪悪であるとしても、確かに決して稀れではないのである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。』
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 1)[#「1)」は縦中横] Turner's Embassy to Tibet, part ii. c. x. p. 351.
[#ここで字下げ終わり]
 地球上のほとんどあらゆる国において、個人は私的利益の考慮に導かれて、人口の自然増加を抑圧する傾向ある習慣を帯びざるを得ない。しかし西蔵はおそらく、かかる習慣があまねく政府によって奨励され、そして人口を奨励するよりもむしろ抑圧することが公の目的であるように思われる唯一の国であろう。
 ブウティアは、生涯の始めに、独身状態を続けて出世をするようにすすめられる。けだしいかなる婚姻もほとんど確実に、地位の向上または政治的に重要な職への昇進の障害となるからである。人口はかくの如くして、野心と宗教との二つの有力な障害によって妨げられる。そして全く政治的なまたは宗教的な職務に没頭する上流階級のものは、農民や労働者に、畠を耕しまたその勤労によって生きるものに、種族の増殖に専心することを委ねるのである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。
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 1)[#「1)」は縦中横] Id. c. i. p. 172.
[#ここで字下げ終わり]
 かくて宗教的隠遁は頻々と行われ1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]、また僧院や尼僧院の数は非常に大である。最も厳重な法律が、女子がたまたま僧院の内部で、または男子が尼僧院の内部で、一夜を過すのを防ぐために、存在している。そして、凌辱を防ぎ、また両性の聖職に対する尊敬を確立するために、規則が完全に出来ているのである。
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 1)[#「1)」は縦中横] Id.
[#ここで字下げ終わり]
 国民は二つのはっきりと分れた階級に分割されているが、それは現世の仕事を行うものと、天上との交渉を管掌するものとである。いかなる俗人の干渉も、決して、僧侶の定まった職務を妨げることはない。僧侶は、相互の契約によって、一切の霊界の仕事を掌《つかさど》り、そして俗人はその労働によって国家を富まし人口を繁殖せしめるのである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。
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 1)[#「1)」は縦中横] Id. c. viii. p. 312.
[#ここで字下げ終わり]
 しかし、俗人の間ですら、人口増殖の仕事ははなはだ冷淡にしか行われていない。一家族のすべての兄弟は、年齢や数に制限なしに、一人の女子とその運命を結びつけるが、この女子は長兄の選んだものであり、家の主婦と考えられている。そして兄弟の別々の職業の利潤がどれだけであろうと、その結果は共同の財産に流れ込むのである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。
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 1)[#「1)」は縦中横] Id. c. ?. p. 348, 350.
[#ここで字下げ終わり]
 夫の数は明かには定められておらず、また何の制限も設けられていない。時には小家族に男が一人しかいない場合もある。そしてその数は、タアナアの云うところによれば、テシュウ・ルウムブウの身分のある一人の土人が、当時五人の兄弟が一人の女と同一の結婚をして、極めて幸福に共棲していることを指摘したが、この数を越すことは滅多にないであろう。この種の共棲関係は下層階級にのみ限られているものではなく、しばしば最も富める家庭にも見られるところである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。
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 1)[#「1)」は縦中横] Id. c. x. p. 349.
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 かかる習慣は、かくも多数の僧侶の独身生活と相俟って、最も有力に人口に対する予防的妨げとして作用しなければならぬことは明かである。しかし、この過度の妨げにもかかわらず、土壌の自然的不毛に関するタアナア氏の記述から見るに、人口は生前資料の水準にまで圧迫されていることがわかるであろう。そしてこれはテシュウ・ルウムブウにおける乞食の数によって確証されるように思われる。これらの乞食や彼らを養う慈善に関するタアナア氏の記述は、月並なものではあるが、しかも極めて正常かつ重要なものであり、従って何度反復しても過ぎることのないものである。
 彼は曰く、『かくて私は意外にも、私が絶えず平穏な規則的な世の動きを見て来たところに、私が考えてみたこともない貧窮と怠惰の大衆を発見した。しかし、無差別な慈善の存在する場合には常にその恩恵の対象物に事欠くことはなく、与うべき施物以上に多数の希望者を常に寄せ集めるものなることに考え至った時、私はこれに少しも驚かなかった。テシュウ・ルウムブウでは人間は誰も欠乏に悩むことは出来ない。おそらく世界中で最も大きな最も逞ましい体躯をもつムッスルマン族の大衆ですらが、哀れな生活を辛うじて維持するだけのものに頼っているのは、人間のこの性向に基づくものである。そしてこの外になお、私は三百人を下らない印度人、ゴザイン族、及びサンニアス族が、毎日この場所で、ラマの恩恵で養われる、と聞いたのである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。』
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 1)[#「1)」は縦中横] Id. c. ix. p. 330.
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    第十二章 支那及び日本における人口に対する妨げについて

 支那の人口に関して最近与えられている記述は極めて驚くべきものがあり、ために多くの読者の信念を驚かし、そして彼らをして、言葉を知らぬためにある偶然の誤謬が計算の中に潜入したに違いないか、またはサア・ジョオジ・スタウントンに情報を与えた宦官が、お国自慢に誘われて(これはどこにもあることだが、しかし支那では特に甚だしい)、彼れの国の力と資源とを誇張するに至ったのに違いないと想像せしめるものがある。この二つはいずれも非常に有り得ないことでないことを認めなければならない。同時にまた、サア・ジョオジ・スタウントンが述べていることは、十分信ずるに足る他の記述と、本質的に違ってはおらず、そして少しでも矛盾を含んでいるどころか、この国を訪れたすべての著述者が一致している支那の肥沃度のことを振返ってみるならば、いかにも本当らしいことが、わかるであろう。
 デュアルドによれば、康※[#「にすい+熈」、第3水準1−14−55]帝の治世の始めに行われた戸口調では、戸数は一一、〇五二、八七二戸、兵役可能の男子は五九、七八八、三六四であることがわかった。しかも皇族や宮廷の官吏や宦官や兵役済の兵士や進士や挙士や博士や僧侶や二十歳以下の青年や、また海上生活者や河で小舟に生活する多数の者は、この数字の中に含まれていないのである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。
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 1)[#「1)」は縦中横] Duhalde's Hist. of China, 2 vols. folio, 1738, vol. i. p. 244.
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 一国の兵役適齢男子数が全人口に対する比率は、一般に一対四と見積られている。そこで五九、七八八、三六四に四を乗ずると、結果は二三九、一五三、四五六となる。しかしこの問題に関する一般の計算では、青年は二十歳未満でも兵役に堪えるものと考えられている。従って吾々は、右の数字に四以上の数を乗じなければならぬはずである。この戸口調から除外されたものは、社会のほとんどすべての上層階級、及び極めて多数の下層階級を含むように思われる。これら一切の事情を考慮に入れるときには、デュアルドによれば、全人口はサア・ジョオジ・スタウントンが挙げている三三三、〇〇〇、〇〇〇よりも著しく少いものではないことが、わかるであろう1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。
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 1)[#「1)」は縦中横] Embassy to China, vol. ii. Appen. p. 615. 4to.
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 兵役可能の男子の数に比較して戸数の少ないのは、デュアルドのこの記述の顕著な点であるが、これは、サア・ジョオジ・スタウントンが、支那においては一般的であると云っている習慣によって説明される。一個の住宅に属する囲いの中に、三代に亙る家族全部が、各々の妻子全部と共に一緒にいるのがしばしば見られる、と彼は云っている。一つの部屋が各家族の全員用に充てられ、各人は、わずかに天井から垂れた茣蓙《ござ》で区劃された別々の寝床に寝るのである。一つの共通の部屋が食事のために用いられる1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。支那では、その外になお莫大な数の奴隷がいるが2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]、彼らはもちろんその属する家族の一員と考えらるべきであろう。これら二つの事情は、おそらく、右の記述における一見矛盾と思われる点を、説明するに足るであろう。
[#ここから2字下げ]
 1)[#「1)」は縦中横] Id. Appen. p. 155.
 2)[#「2)」は縦中横] Duhalde's China, vol. i. p. 278.
[#ここで字下げ終わり]
 この人口を説明するためには、支那の気候は何らか特別に子供の出生に好都合であり、そして女子は世界の他のいずれの地方におけるよりも多産的であるという、モンテスキウの仮説1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]に頼る必要はないであろう。かかる結果を生ずるに主として寄与した原因は次の如くであると思われる。
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 1)[#「1)」は縦中横] Esprit des Loix, liv. viii. c. xxi.
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 第一に、自然的の土壌の優秀、及び温帯中最も温暖な地方に占めるその有利な位置、すなわち土地の生産物に最も好都合な地勢、がそれである。デュアルドは、支那中に見られる豊饒について長い一章を充てているが、その中で彼は、他の王国が提供し得るほとんど一切のものは支那で見出すことが出来、また支那は他のどこでも見られないものを無数に産出する、と云っている。この豊饒は――と彼は云う――土壌は深く、住民はあくまで勤勉であり、また国土を灌漑する多数の湖水や運河によるものと、され得よう1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。
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 1)[#「1)」は縦中横] Duhalde's China, vol. i. p. 314.
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 第二に、この国の初まり以来農業に対し与えられている非常に大きな奨励があるが、これは人民の労働を最大多量の人類の生活資料の生産に向けて来ているものである。デュアルドは云う、これら人民をして、土地の耕作にかかる信じ得ざるほどの労苦を払わせるものは、単に彼らの私的利害のみではなく、またむしろ農業に対する彼らの尊敬、及びこの国の初まり以来皇帝自身が常にそれに対し払い来った崇敬の念である、と。最も名声ある皇帝は、農民の地位から帝位に即いた。他の一皇帝は、その時まで水で覆われていた数箇所の低地方から運河によって水を海に吐き出し、そしてこの運河を土壌を肥沃ならしめるために利用する方法を、発見した1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。彼はそのほかになお、土地を施肥し耕耘し灌漑することによって土地を耕作する方法について数冊の書物を書いた。その他多くの皇帝は農法に対する熱意を示し、またそれを促進するために法律を制定した。しかし農業を最も尊重したのは紀元前一七九年に統治した文王である。この王は、自己の国が戦争のために荒廃したのを見て、その宮殿に附属する土地を自ら耕作して手本を示し、その臣下に自己の土地を耕作させることにしたので、宮廷の大臣や大官はこれに倣わざるを得なかった2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。
[#ここから2
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