集団を撃破し、イタリアをその蹂躪から救ったのである9)[#「9)」は縦中横、行右小書き]。
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1)[#「1)」は縦中横] Tacitus de Moribus Germanorum, s. 37.
2)[#「2)」は縦中横] Id.
3)[#「3)」は縦中横] Gibbon's Decline and Fall of the Roman Empire, vol. i. c. x. p. 407, et seq. 8vo. Edit. 1783.
4)[#「4)」は縦中横] Id. vol. i. c. x. p. 455, 456.
5)[#「5)」は縦中横] Id. p. 431.
6)[#「6)」は縦中横] Id. vol. ii. c. xi. p. 13.
7)[#「7)」は縦中横] Id. p. 11.
8)[#「8)」は縦中横] Id. p. 19, A. D. 270.
9)[#「9)」は縦中横] Id. p. 26.
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アウレリアンの武力はあらゆる方面でロウマの敵を打破した。彼の死後、敵はその猛威と数とを更にも増して復活して来たように思われる。しかし彼らはまたもプロウブスの強力な武力によってあらゆる方面で破られた。ガリアだけをゲルマン人の侵入から救うのに、四十万の野蛮人の生命が費されたと記されている1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。勝を得た皇帝は長駆ゲルマニア自身へと侵入した。そしてゲルマンの王侯は皇帝の出現に驚き、またこの前の移住の失敗に困惑し消衰して、征服者の課するあらゆる条件に聴従した2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。プロウブス及び後にはディオクレチアン3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]は、野蛮人の脱走者や捕虜に土地を与え、そして彼らの過剰人口を国家にとり最も危険の少なそうな所へ配置して、帝国の荒廃地方を恢復しようという計画を採用した。しかしかかる植民は北方の人口に対する吐け口としては不十分であり、また野蛮人の激情は農耕の鈍重な労働に常に向くとは限らなかった4)[#「4)」は縦中横、行右小書き]。ディオクレチアンの力強い治世の間、ロウマの辺境地方に対し有効な攻撃をなし得なかったので、ゴオト族、ヴァンダル族、ゲピデイ族、ブルグンド族、及びアレマニ族は、相互の闘争で互いの力を消耗したが、他方ロウマ国民は、誰が滅ぼしたにせよそれはロウマの敵を滅ぼしたのだと考えながら、この血腥い光景を喜んで眺めていたのである5)[#「5)」は縦中横、行右小書き]。
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1)[#「1)」は縦中横] Gibbon, vol. ii. c. xii. p. 75.
2)[#「2)」は縦中横] Id, p, 79, A. D. 277.
3)[#「3)」は縦中横] Id. c. xiii. p. 132. A. D. 296.
4)[#「4)」は縦中横] Id. c. xii. p. 84.
5)[#「5)」は縦中横] Id. c. xiii. p. 130.
[#ここで字下げ終わり]
コンスタンチンの治世にまたも恐るべきものとなった。彼らの力は長い平和によって恢復し、そしてもはや昔日の不運を記憶しない新世代が興って来た1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。連続二囘の戦争によって彼らの多数は殺戮された。彼らはあらゆる方面で破れて山中に追込まれた。そして激しい戦の中に、十万以上のものが寒さと飢えで死んだと云われている2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。コンスタンチンは、プロウブスとその後継者の計画を採用し、自国から追放されて頼って来た野蛮人たちに土地を与えた。すなわち彼らの治世の終り頃に、パノニア、マケドニア、イタリアの諸州のかなりの地域が、三十万のサルマチア族の住所及び生活資料のために割当てられたのである3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]。
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1)[#「1)」は縦中横] Gibbon, vol. ii. c. xiv. p. 254, A. D. 322.
2)[#「2)」は縦中横] Id. vol. iii. c. xviii. p. 125, A. D. 332.
3)[#「3)」は縦中横] Id. p. 127.
[#ここで字下げ終わり]
好戦的なジュリアンは、フランク族及びアレマニ族の新集団と戦い、これを破らなければならなかったが、彼らはコンスタンチンの内乱の間にそのゲルマニアの森林地方から移住して来、ガリアの各地に定住し、そして彼らが征服したものより三倍も広い土地を荒し廻った1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。あらゆる地方で撃破され撃退され、彼らは五囘の遠征で自国へと追撃された2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。しかしジュリアンはゲルマンに侵入するや否やこれを征服していたのであった。そしてロウマ世界を絶えず恐怖に陥れていたほどの人民の大群を送り出したこの大きな巣窟の真ただ中で、彼れの進軍を妨げた主たる障害は、ほとんど通行し得ない道路と、広大な無人の森林であったのである3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]。
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1)[#「1)」は縦中横] Gibbon, vol. iii. c. xix. p. 215, A. D. 356.
2)[#「2)」は縦中横] Id. p. 228, and vol. iv. c. xii. p. 17, from A. D. 357 to 359.
3)[#「3)」は縦中横] Id. vol. iv. c. xxii. p. 17, and vol. iii. c. xix. p. 229.
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かくてジュリアンの戦勝軍により征討され圧倒されはしたけれども、この多頭蛇の怪物は数年後またも立上がって来た。そしてヴァレンチニアンは、その決心と用意と優れた才智を十分発揮して、その領土を、アレマニ族、ブルグンド族、サクソン族、ゴオト族、クアディ族、及びサルマチア族の色々の侵入から守らなければならなかった1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。
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1)[#「1)」は縦中横] Gibbon, vol. iv. c. xxv. from A. D. 364 to 375.
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ロウマの運命は、遂に、ゴオト族全体を帝国に雪崩れ込ませたフン族の抗し難き移動によって、決定された1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。そしてゲルマン諸民族に対しこの有力な圧迫が続くので、彼らはその森林及び沼地を逃げ込んだサルマチア人に譲渡し、または少くともその過剰人口をロウマ帝国領に吐き出す決心をさせられたように思われる2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。かつて共和国の繁栄期に無数のサンブリ族及びチュウトン族を吐き出したバルチックの同じ沿海地方からは、四十万の移民が送り出された3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]。この集団が戦争と飢饉とによって滅ぼされた時に、また他の冒険者がその後を次いだ。スエビ族、ヴァンダル族、アラニ族、ブルグンド族はラインを渡り、二度と再び退かなかった4)[#「4)」は縦中横、行右小書き]。最初に定着した征服者は、新らしい侵入者によって駆逐されまたは絶滅された。雲霞の如き野蛮人は北半球のあらゆる地方から集ると見えた。彼らは進むにつれて新らしい暗黒と恐怖とを集め、その大群は遂にイタリアの太陽を覆い、西方世界を暗黒に沈めたのである(訳註)。
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1)[#「1)」は縦中横] Gibbon, vol. iv. c. xxvi. p. 382, et seq. A. D. 376.
2)[#「2)」は縦中横] Id. vol. v. c. xxx. p. 213.
3)[#「3)」は縦中横] Id, p. 214, A. D. 406.
4)[#「4)」は縦中横] Id. p. 224.
〔訳註〕最後の二文は第一版より、1st ed., p. 45.
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ゴオト族がダニュウブ河を渡って逃れてから二世紀経つ中《うち》に、種々な名称と系統の野蛮人が、トラキア、パノニア、ガリア、ブリテン、スペイン、アフリカ、及びイタリアを掠奪し所有した1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。人類の最も恐るべき荒廃と信じ得ざる破壊とが、かかる急速な征服に伴った。そして戦争がかかる暴威をたくましくするのに常にこれと歩調を共にする飢饉と流行病とが、ヨオロッパのあらゆる地方に猛威をふるった。かかる荒廃状態を目睹《もくと》した当時の歴史家は、これを表現する言葉に苦しみ当惑している。しかし言葉の力以上に、かかる野蛮人の侵入者の数と破壊的暴威とは、ヨオロッパの状態に生じた全的変化が、これを実証した2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。地球上の最も美しい地方を通じてかくも長期にかくも深刻に蒙ったこれらの恐るべき結果は、大部分、人口増加が生活資料よりも優れているという単純な原因に、帰し得るであろう。
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1)[#「1)」は縦中横] Robertson's Charles V. vol. i. sect. i. p. 7. 8vo. 1782.
2)[#「2)」は縦中横] Id. p. 10, 11, 12.
[#ここで字下げ終わり]
マキアヴェルは、そのフロレンス史の冒頭に曰く、『ライン河とダニュウブ河の間にある北方地方の住民は、健康な多産的な気候の中に暮していて、しばしば著しく増加し、ためにその多数はその郷土を去り新居住地を求めに行かざるを得ない。これらの地方のいずれかが人口過剰となり、これを処分しようとする時には、次の方法がとられた。まずそれは三組に分けられ、そのいずれも同数の貴族と平民、富者と貧者をもつようにされる。それから彼らは籤《くじ》を引き、籤に当った組は、故国を去って自己の運命の開拓に出掛け、残った二組に故郷の財産を享受すべきより[#「より」に傍点]多くの余地と自由とを残す。これらの移民がロウマ帝国を崩壊せしめたのである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。』ギボンは、マキアヴェルはこれらの移民の規則的な協議的な方法を誇張しすぎている、と評している2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。しかし私は、おそらくは、彼はこの点について大きな誤りを犯していないし、その耕地を一年以上同一所有者が所有することを許さないという、ケイザルとタキトスの注目したゲルマン人の法律が出来たのは、過剰人口をこのようにして処分する必要が頻々と起ることを予見してのことであろう、と思うのである3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]。ケイザルがこの習慣の理由として挙げられていると述べているものは、不適当であるように思われる。しかしこれに加えるに、マキアヴェルが述べているような移民の見通しということをもってするならば、この習慣は非常に有用なことがわかり、そしてケイザルが述べている理由の一つには二重の意義が与えられることになろう。すなわちその理由とは、一つの地点に定着すると戦争の労苦に代えて農業を好むようになるから、それを防ぐためだというのである4)[#「4)」は縦中横、行右小書き]。
[#ここから2字下げ]
1)[#「1)」は縦中横] Istorie Fiorentine Machiavelli, l. i. p. 1, 2.
2)[#「2)」は縦中横] Gibbon, vol. i. c. ix. p. 360, note. 右のマキアヴェルの説の出所と想像されるパウル・ディアコヌスは次の如く書いている、――『北方地方は、太陽の熱から遠く離れ雪の寒さが激しくなるほど、人間の健康と子孫の繁殖に適する。反対に、南方地方は、太陽の熱に近づくほど、ますます病気が多く増殖に適しない。………前者の地方の多くは、人間が多く増殖したので
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