である。けだし彼は既にこのことをマルサス以上に徹底的に行っていたのであるから。ではそれは何によって説明せらるべきであろうか。上述の如くにそれがこの内在的理論の故をもって説明し得ないとすれば、勢いそれは外部的事情すなわち社会的役割によって説明せられる外はない。しかるにマルサスはその基礎理論の上に立って二つのことを解決せんとしたのであった。人口論争における人口減退の問題がその一であり、『英国におけるフランス革命』における社会の一般的永続的改善の可能性の問題――貧民法の問題を含めて――がその二である。しかるに人口論争においては勝敗の数は既に明かであったのであり、しかもフランス革命に関する論争が起って後はそれはかなりに世間の視聴から隠れてしまっていた。従って『人口論』第一版の出版の年たる一七九八年の遅きに至ってマルサスが現代の人口のより[#「より」に傍点]多きを立証せんとしたところで、それは世間の視聴を惹くべくもなかったのである。結局彼れの反響の基礎は、フランス革命によって惹き起された英国特権階級の不安を最も適時にかつ俗耳に入り易い形で排除した点にある、と云うべきである。もちろん平等の社会への憧れを抹殺し去ったのはマルサスをもって最初とはしない。しかしながらフランス革命の主動勢力が一七九二年を境としてジャコバンの手に落ち、英国における『通信協会』がジャコバンと手を結ぶに至って後、英国の社会情勢が著しく逼迫を告げるに至って後に、人口原理を根拠として平等主義を正面から克服せんとしたのは、マルサスをもって最初とする。ここにマルサスの名声の真の根拠が存在するのである。
        三
 この絶大な『人口論』のポピュラリティに最も驚愕したものは、おそらく著者マルサスその人であったかもしれない。ところがこの書は時事問題を論ずるいわゆる試論であり、学究的なまたは philosophical な論究ではない。そこで第一版の望外な成功に自ら驚いたマルサスは、海外旅行と多大な読書とによって多数の資料を蒐集した上、一八〇三年の第二版においては、第一版の試論的性質を捨ててこれに代えてそれを一つの論究の書とするにつとめた。かくて努力の主観的目標は、時論の追及から原理の歴史的証明へと転向した。すなわち第一版においては若干の頁を割かれたに止った人口原理を実証する歴史的記述の部分は著しく拡張され、それ
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