)という好条件であって、各自近傍の得意を守り、遠方への配達をしない。少し離れたところに住むと、毎朝こちらから買いに出かけねばならぬのであった。私はこれを見てなるほどと思った。これだから配達費がごくいささかで済み、その安値で売って成り立つのであった。僅か一合の牛乳を遠方まで配達する日本の牛乳屋の不合理がいっそうこれで肯かれたのであった。数字にして比較して見ると、
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欧州                    日本
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一人の配達およそ一石            一人の配達およそ一斗
   (リットル入り百八十本)             (一合入り百本)
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            円
原価 (一升二十銭) 二〇・〇〇        (一升二十銭) 二・〇〇
一人の給金       五・〇〇                二・五〇
 計         二五・〇〇                四・五〇

売上げ(一合三銭)  三〇・〇〇        (一合七銭)  七・〇〇
 差引収益       五・〇〇                二・五〇
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 牛乳のようなものでは、配達料は経営費の大部分を占めるのであるから、この費目の軽減を計ることが経営上最も必要なことであった。そこで中村屋も開業以来の無料配達を改め、現在のように規定したのである。
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一、近隣以外はことごとく配達料を申し受けること、但し牛乳は近隣といえども大瓶(二合五勺)三銭、小瓶(一合一勺)二銭の配達料を申し受ける。
二、旧市内は電車賃往復分十四銭を申し受ける。郊外電車も同様で、乗換接続の場合は、双方の合計を申し受ける。
三、金額五円以上の御註文はサーヴィスとして旧市内無料、但し郊外で電車賃十五銭以上の所は十四銭を差し引き、残額だけを申し受ける。
四、配達は午前午後と各々一回とし、午前の分は前九時までに、午後の分は正午までに御註文を受けること。
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 右の通り実行して今日に至ったが、お得意でもよく理解し賛成して下さって、無料配達廃止の当初からきわめて好成績に行われて来たのはまことに喜ばしいことであった。すなわち配達料を申し受けるようになって以来、配達を望まれる御註文の金高は、それ以前の御註文の四、五倍のものになったから、配達費の負担が著しく軽減し、手軽なものはお客様御自身で快くお持ち帰りになるようになり、正価は正価、配達料は配達料とはっきりして、店頭の売価において従来よりいっそうの勉強が出来るようになった次第である。もし一般商店と同様に遠距離まで無料配達を続けていたとすれば、その費用として商品の価におよそ一割くらいを加えなくてはとうてい立ち行かぬところであった。お客様に対してどちらが親切な仕方であるか、それは自ずから判るところであろう。

    模倣を排す

 私は店格ということをいい、これを店の持前持味というように解釈したが、ここではその店格なるものの根本について話してみたい。
 人間はその面の異なる如く、その性質を異にし、神と崇められる者があれば悪魔と嫌われる者もあり、じつに千差万別、人生に複雑な妙味を現し、また尋常一様に見られる中にも個人個人で多少とも異なるところがあるものである。
 ところがその各自異なる人間の仕事であるにもかかわらず、商店にはとかく雷同性が多く、個性の認められる店はきわめて少ない。そしてこの雷同性がいつも共倒れの原因となっているのは、じつに悲しむべき現象である。かつて日露戦争直後、東京で最初にロシヤパンを売り出し、珍しいので相当繁昌した店があった。ところがたちまち十数店の同業者が同じロシヤパンを売り出し、競争となって共に没落してしまった。
 これなどほんの一例にすぎず、ある店が何か工夫して売行きよしと見ると、同業者は一斉にこれを模倣して、たちまちその特色を失わしめてしまうのが、ほとんど世間おきまりのようである。我が日本人は世界中で最も善良な性質の持主であるが、模倣に長じて独創に乏しいところはたしかに一大欠点といわねばならない。海外貿易に従事する人々の間でもこれが著しく、一人がある国の市場に適する商品を発見して商売に成功するのを見ると、他の貿易商たちも競うてこれを模し、たちまち市場を争うてついにはその貿易を破壊に導いた例が少なくない。また内地の都市あるいは地方にあっても、一般に独自性が乏しいため、どの店もおおかた似たりよったりで一向に特色がない。これでは存立の意義きわめて薄く、男子一生の仕事として生き甲斐あるものということは出来ない。
 私が店格を云々とするのはここであって、他人の境地を侵さぬことはもとより、平常自己の人格の向上を念願すると同様に、店そのものの本質的向上を計り、人格を磨くが如く店格を磨き、店の個性を樹立することに精進努力せねばならない。店の品格を高めることの必要なのはいうまでもなく、はっきりした特色を持ち、常にその長所を発揮することが大切なのであって、それはちょうど人が人格の高潔とともに才能を練磨すべきであると全く同様である。
 先頃も私は、日本全国から菓子の講習を受けに上京した人々に講話を望まれて話したことであったが、地方の菓子業者はたいてい東京の菓子を模倣することに全力を傾け、その地方特有の名物を軽視して顧みない風がある。むろん万人から見て東京は大いなる魅力であろうが、それはちょうど明治の初め西洋崇拝に駆られて、日本古来の美術工芸品を二束三文に外国に捨売りし、何でもかんでも舶来でなくては気が済まなかったのと同じことで、遠からず失うたものの価値が解り、必ず後悔する時が来るであろう。すなわち地方人はその地の特産を大切にし、保護するとともに一段の改善を加えて発達を図り、地方色を確保することが必要である。私は好んで各地を旅行するが、これはと思うような土地特有の名物に接することは至って少なく、たいがいは都会におけるありふれたものの模造であり、失望することが常である。先頃私の友人がギリシャに遊び、往昔文化の中心地であったアゼンの都において記念品を求めようとしたところ、眼につくものはたいてい日本製品か独逸品のみで、ギリシャ特有のものは何も見当らなかったということで、大いにその国土のために嘆かれたということである。
 私はこれらの話をして地方人の不心得を指摘し、大いに注意を喚起したのであったが、これはひとり地方だけのことでなく、都下屈指の商店にしても模倣を事として目前の安易に慣れているものが多いのである。いわゆる百貨店等に押されて次第に影の薄くなって行くという店は、たいてい特色なきこれらの店である。
 特色なき店はいかに大がかりな店構えをしても、そこに何の強味もない。独自の製品を持ち一個の店格を確立せる店は、小なりとも大いに発展し得る将来を持つというべきである。のみならずこうすることが真に商道に忠実なる者である。

    日本人の能率は欧米人に劣らず

 中村屋は本郷における創業の時代、女中も合わせてようやく四、五人の人に働いてもらっていたが、その後発展に伴うて一人二人と増し、だんだんふえて、ことに昭和四年頃からは年々三月の卒業期に二十人以上の少年店員を迎えることになって、創業三十七年の今年は二百七十人の多勢となり、この大勢の店員諸君が常に緊張して忙しい店を維持し、店の進展に伴って各自その全能力を発揮せんとして努めているのであって、最年少の新入店者に至るまで私はこれを自分と同じく商業に志す同志として迎え、かく多くのよき同志を得たことを常に感謝している次第である。
 さて諸君はことごとく我らのよき同志であるが、一面また「使う人と使われる人」の関係におかれているのであって、世上この「使う人と使われる人」の間ほど難かしいものはなく、ことにこの頃は時代の進歩につれて後から後からと新しい問題が提示されるのであって、主人としての責任は重く、我らは心を尽して諸君とともに万あやまりなきを期せねばならない。
 それゆえ自分は平常他人の話にも注意し、良きにつけ悪しきにつけ参考とすることを怠らないのであるが、一昨年米国を視察して帰られた藤原銀次郎氏のお話には、一方ならず興味を惹かれた。氏は米国においていろいろの会社の執務振りなども見て来られたが、米国の諸会社では、同程度の我が日本の会社の三分の一くらいの小人数で仕事をしているというお話であった。
 私はこれを聞いて考えた。日本の会社でアメリカの会社の三倍の人数を必要とするというのは、何に原因するのであるか。もし日本人の能率が米国人の能率の三分の一しかないのだとすれば、我ら日本人の将来はまことに憂うべきものである。しかし私はだんだんと調査して見たが、日本人の能率が米国人に比して劣っているとは思われない。劣っていないばかりか、彼より一段立ち勝っていると信じられるのである。それは彼の地における我が移民の活動に見ても、また人絹綿糸などで日本が英米を圧する勢いにあるのを見ても、すでに日本人の優秀さは充分立証されているのである。現にフォード会社の横浜における組立工場で、日本人の働きは、米国における同じ組立工場に比して、一割方も立ち勝ると聞いている。それが諸会社の使用人のみに逆の傾向を示すのは何故か。私はここに事業を行う者、またはそれに参加する者の大いに反省せねばならぬものを見るのである。
 聞くところによれば米国の会社では、重役が他の会社の重役を兼ねることはきわめて少なく、専心一つの業に当り、自ら使用人の先に立って働くという。その他大学の総長さんなどでも、自ら第一線に立っていっさいの用事を仲介なしで裁決するということである。
 これに反し日本の会社の重役なるものの中には、その資本力に任せて有利の事業と見れば八方に手を出し、一つの体で多くの会社の重役を兼ね、実際の働きにこれというものもなく、高級の自動車をあれからこれにと乗りまわして巨額の報酬を得ているものが多いのである。しかも使用人の俸給は著しく安いので彼らは内心不満なきを得ず、したがって責任を感ずることも薄く、仕事に対する態度も弛緩して人一人の持つ能力が発揮されていない。加うるに俸給が少ないため内職等に精力を消耗するので、これらが原因となって三倍もの人数を必要とすることになるのである。
 我が中村屋は一人一業の主義に基づき、全員緊張して仕事に当り、不平不満なく業を楽しむの域に近づいた結果、その能率いささか誇るに足るものがある。従来の菓子職人、特に日本菓子の人々は徳川時代よりの一種の悪習慣に禍いされて、半ば遊び半ば働くというふうであるから、彼ら一人の製造能率は一日十五円内外、二十円に達することは稀れであるが、我が中村屋の職人は一人一日平均五十円に達し、歳末や四月の花見時の如き繁忙の際には七十五円にも及ぶことがある。また我が喫茶部の成績も一ヶ年を通じて一人当り一日二十一円と記録され、丸の内のある有名なレストランの一日の売上げ八百五十円を百二十人で働いているのに対比し、ちょうど三倍となっている。私はこの体験よりして我々日本人の能率は米国人のそれに劣るものでないことを自信し、甚だ愉快に感ずる。

    少年店員の採用とその待遇法

 中村屋は毎年三月に少年店員を募集し、高等小学を卒業する少年を、直接親たちの手から引き受ける方針を取って来ている。むろん高等の教育を受けた青年の入店希望者もすこぶる多く、中等学校卒業者はもとより大学の商科その他の学府を出た人々もあり、ことにそれら高等教育を受けた人々の入店希望にはそれぞれ事情があって、特に頼み込まれる場合が多いのであるが、これまでの経験によると、だいたいとして長く学校生活をした人は店務には適せぬものが多い。もともとそれらの人々は官吏か大会社の社員になることを志望し、必死の努力で受験難を突破して学校に入り、ようやく卒業してみると意外の就職難でやむを得ず方針を変え、あ
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