の一以下の家賃で済むことになるであろう。しかしそういう商売は別として、普通の小売商で営業の成り立っている店なれば、その売上げ一日分と一ヶ月の家賃はほぼ同額、または売上げ以下で家賃が済んでいると見てよかろうと考えられるのである。
『初めのうちは辛抱が大切だ、辛抱して勉強してさえいれば次第に信用がついて売れるようになる』とは誰でも開業当初に思うことであるが、仮りに百円の家賃を払うて営業し、売上げが一日僅か三十円くらいよりない場合には、家賃が売上げの一割一分につくこととなるから、とうてい将来の見込なきものとして覚悟せねばなるまい。しかし百円の家賃で一日百円に近い売上げがあれば店は充分に成り立ち、さらに同じ家賃で売上げが少しずつでも向上して行くようになれば大いに有望で、もしその売上げが二百円にも達するならば、家賃の負担は著しく軽減して、僅かに売上高の一分七厘にすぎなくなり、それだけ商品を勉強することが出来て、その店はますます発展することになるのである。
 さて心得ねばならぬのは、店がどれほど繁昌するようになった後もこの原則は変らぬことである。繁昌するからといって店を壮大に拡張し、いわゆる家賃の負担が重くなれば、それはただちに商品に影響し、したがって店は下り坂となるであろう。すなわち改築の要迫るといわれる中村屋は、いまこの自戒すべき時に立っているのである。
 顧みれば三十七年間、我が中村屋の過去いろいろの時代について、売上げと家賃の大略をあげてみると、本郷時代の中村屋は間口三間半で家賃十三円であった。それで売上げは店売およそ八円で、配達と卸売りで五円、合計十三円でちょうど家賃と同格、新宿移転時は間口四間で家賃二十八円、売上げは一日二十五円ないし三十円であった。
 新宿移転後一年で現在の場所に移り、初めて自分の家を持ったが、間口五間、奥行二間半(十二坪半)、同時に日本菓子の製造を始めたので、売上げは一躍して七十円に上った。しかしこれまでの家賃に代るに地代十六円、建築費やその他の利子、家屋税、保険料を合算してやはり七十円ぐらいであった。
 ここでは初め売上げに比して店が少々広すぎるぐらいであったが、その後売上げが漸次増加して甚だ手狭を感じるようになって、改めて奥行を三間半に拡張したが、店はいよいよ忙しくなって、拡げた所もじきに狭くなり、事情に応じて半間あるいは一間と奥行を延ばして行き、間口も五間を七間として、都合六、七回にわたって十二坪半から五十坪まで漸次建て増し、ある時は改造後ようやく六ヶ月でさらに改造の必要に迫られたことなどもあった。友人等は私のやり方があまりに姑息《こそく》で、かえって失費の多いことを指摘し、どうせ拡げるものなら将来のことも考えて、一挙に大拡張してしまってはと忠告してくれたほどであったが、私はこれには従わなかった。店が急に広くなってお客様がさびれ、ガランとしてしまう例はいくらもある。後から後からお客様で満たされる店の賑わいを当然であるかのように思い、建築費を節減しようとしてはるかの先を見越しての改築は後悔を招く場合が多い。私はこう考えていたので、その後もやはりお客様の増加に応じて少しずつ拡げて行き、再々増築の手数と費用を我慢したことであった。
 その後大正十二年、売上げ一ヶ年二十万円(一日平均五百余円)を見る頃になって、税務官との間に意見の相違を来たし、私個人の店を株式会社に改め、会社から家賃五百円を受け取ることにした。すなわち三分三厘に当る。
 最近には売上げもさらに増加して一ヶ月十八万円に達したが、家賃は四千五百円であるから二分五厘となり、すなわち八厘方格安となった。それだけ得意に対し勉強し得ることとなったのである。

    店の格を守る

 私は経済の点をしばらく離れて、店の「格」というものを考えて見る。人に人格のある如く、店にもいつとなくその店の「店格」というものが出来ている。この店格なるものについては、別に根本的に言って見るつもりであるが、とにかくここではその店の持前持味とでも解釈しようか、一つの商売を大切に護って相当年数を経て来た店というものは、長い間にその店独特の気分をつくり出しているものである。
 店の格などというと、階級的な意味に聞えるかも知れぬが、私が言うのはそれではなく、繩のれんには繩のれんの味があり、名物店には名物店の趣きがあり、扱うところの製品を主として店主の気風も自ずからそこに現れ、長年愛顧のお得意の趣味好尚に一致する何物かが、その根底に血脈をなしていることは争われぬのである。すなわちその店特有の空気というか色というか、それはどこがどうと言いようのないものではあるが、天井にも柱にも看板にも、あるいは明りの具合一つにも、きわめて自然に感じられる一種の馴染《なじみ》深さである。
 私はこの、古い店が持っている馴染深さ心安さを大切にせねばならぬと思う。もとより古い店の構造には今日から見て物足らなく思われるものがたくさんある。例えば現在三階を持つ中村屋にエレベーターのないことなども、あるいはその一つに数えられるかも知れない。このエレベーターのことも後でいうが、大勢おいで下さるお客様に店内が狭くて御迷惑をかけるということを第一として、我々はじつにその足らぬもの欠けているものを切々と感じ、それをも厭わずわざわざ中村屋に来て下さるお客様に対してこれではならぬと、改築の希望も出るのであるが、我々はここでもやはり分を忘れてはならぬのである。経費の点はしばらく措くとしても、大規模に改築すれば、この店が長い年月を重ねて徐々に恵まれたこの賑やかな雰囲気は失われてしまう。
 むろん新しく出来るものは、古くからあるものよりどんなに進んでいるか知れない。例えば照明のこと、ショー・ウィンドーの設け、売場の作り方、ケースの高さ等々研究の至らぬ方もなきこの頃である。下手なものの出来る筈はなく、改築とともに店は必ず見違えるほどの立派さ晴れがましさになるであろう。現にあちらでもこちらでも古い店が次第に改築されて、明るいモダンな構えになり、混雑して狭かった店が拡張されて綺麗に片づき、店員の手もふえ、用意万端整うて立派になりつつあるのを見受けるのである。
 けれどもその立派になった店構えが、妙によそよそしく感じられ、入口が何となく入りにくく思われたりするのは何故であろうか。むろん商売にもより、改築の効果大いにあらわれ整然として品格上がり、いっそうそれがお得意の好みに適するという場合もあるが、我々のような小売店で、しかも菓子屋のような商売は店頭の入り易いことが第一、たとえ雑然としていても、年中平均した賑わいを店内に持っていることが大切なのである。その点中村屋のような和風建築は、間口がことごとく開放されていて、たとえ手狭であっても全体としてはまだまだ寛濶な感じで、出入りし易いのではないかと思う。古い構えを長年守って来た老舗が入口の狭い洋風建築に改造して、売上げを半減したという話も耳にしたことである。
 じつにこの店構えというものは、床の高低一つでも大きな影響を及ぼすものであって、店の床は道路面から少しく爪先下りくらいになっているのが入り易く、また内の商品も床の低い方が賑やかに見えるなど、いろいろ微妙な点があり、古い店ではこの消息が自然に体得されており、目立たぬところに完全な備えが出来ていて、一つのいわゆる福相となって潜在するのである。ところがそういう店でもいよいよ改造という段になると、当然近代の新様式を取り入れるため、長い間に調うていた呼吸が破れ、たとえば地下室を造る必要上、床が路面より高くなって入りにくい構えになるなど、その他種々思わしからぬ個所が出来て、外見は立派になりながら人好きのせぬ店になり、一つには店内あまりに整然として広さが目立ち、お客の姿が急にまばらに見えるなど、改造とともに一頓挫を来たした形になる例が多く、しかもいったん改造し拡張してしまったものは、もう取返しがつかぬのである。
 さてこう述べてくると私の改築反対は著しく消極論のように聞え、諸君の盛んな意気に反する感があるかも知れぬが、私は決して消極的でも何でもなく、どこまでも内容の積極性を失わざらんがために、勢いにまかせて外形だおれに陥ることを避け、大いに自戒するのである。
 再び例をもっていえば、繩のれんの一杯茶屋の繁昌はどこまでも繩のれんの格においてのみ保たれるのであって、長年労働者を得意として発展した店が、財力豊かになって来たからとて、急に上流向きの立派な店構えに改築して、それで得意を失わずに済むものではなく、またにわかにかわって上流の客が来るものでもない。外観の整うたのに引きかえて内実が衰微して行くのは、むしろ当然のことと言わなくてはならない。と同時に上流向きの店は上流向きとしての格相応な構えがなくてはならぬであろう。同業の中に見ても、宮内省御用の虎屋には虎屋の構えがあり、また虎屋なればこそあの堂々たる城廓のような建築になっても商売繁昌するのであって、一般民衆相手の菓子店がもしも虎屋を真似たならば、おそらく客は寄りつくまい。中村屋は中村屋相応の格を守り、決して調子に乗ってはならない。

    商品の配達に要する失費

 店を改築して経費が嵩《かさ》めば今のように安く売ることが出来ず、売価が上がればそれに伴うサーヴィスとして、百貨店などのように無料配達の必要も起って、いよいよ経営の合理化に遠ざかることをすでに述べた。そこでこの配達費というものは商店経費の中のどのくらいの割合を占めるものであるか、少しこれについて考えて見よう。
 中村屋が無料配達を廃止したのは今から十年前のことであって、それまで開業以来ずっと無料配達のサーヴィスをしていたものであった。私の経験によると店頭売りの場合には店員一人で一日百円の商いをすることはさほど困難でないが、近まわりのお得意だけでもお届けすることになれば、その三分の一すなわち一人が三十円を売るだけのことも容易ではないのである。
 また遠方までお届けすることになると、さらに三倍くらいの時間と労力とを要する。そこで小店員一人の日当を二円と見ると、店頭売りの場合はその人件費も売上げの百分の二にすぎないが、近隣配達には百分の六となり、遠方配達にはじつに百分の十八となって、ほとんど利益の全部を配達のために失うこととなるのである。
 しかもこの百分の十八は、自転車や電車によった場合の計算であって、近頃のように配達の敏速を希望して自動車を用いることになると、さらに費用は倍加し、売上金高の三割以上を割《さ》かれることになる。自動車はフォード級の普通車を使用してすら、その買入費の消却と、その金利と税金、運転士給料、車庫料、消耗品とガソリン代等を合算すれば、一日当り平均十二、三円となる。中村屋の経験では自動車の配達能力は一台一日六十三軒のレコードもあるが、一ヶ月を平均すれば二十四、五軒にすぎないから、これに十二円を割り当てると、一軒当りの配給費はまさに五十銭である。それゆえ御註文品の金高があまりに小さい時はお断りするほかないことになる。現在百貨店が配達網を八方に布《ひ》き、また遠方には配給所を設けて、専らその合理化につとめていても、なおその費用の莫大なのに当惑しているときくが、まことにさようであろうと案ぜられる。
 しかし一般個人店では、まだそれほど配達の必要少なく、したがって経費に悩まされた経験がないため、遠方からの註文に接すると店の光栄として、僅少の品でも喜んで配達するようであるが、もし詳細に計算したならば、利益以上の経費を負担して損失となっている場合が多いことと思う。
 私が欧州を視察したのも早や十年の昔となったが、パリ、ロンドン、ベルリンなどの都市で、牛乳が我が一合当り邦貨三銭であった。当時日本では一合五銭ないし十銭、平均七銭というところであったから、物価の高い欧州に来てどうして牛乳だけがこう安いのかと不審に思うたことであった。しかし調べてみるとあちらでは牛乳はほとんど軒並みの需要で、しかも一戸当りだいたい一リットル(五合五勺
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