らも、五時閉店を固守して来たのであった。
それを今度は店員一同、店のために進んで時間延長を希望し、日曜祭日の夜の僅かな余裕も犠牲にしようというのである。私はこの一同の案を容れるとともに、七時以後の時間を甲乙二班に分って隔日交替とし、この時間における売上げの五分を、その日の当直店員に特別手当として支給することに決めた。
次に、各工場の職長に日本一の技術者を招聘《しょうへい》したいという私のかねての宿望を実現することになり、二月初旬には日本菓子部に荒井公平、洋菓子部に高相鉄蔵、食パン部に石崎元次郎の三君の入店を見ることが出来た。喫茶部の開設を決定したのもこの時であった。これで中村屋の陣容はやや整い、目前の不利な形勢に対しても、これならば恐るるに足らぬという自信を持つことが出来たのである。店員一同の奮闘もまためざましかった。果たして形勢|幾許《いくばく》もなくして回復し、その後売上げは急激な勢いをもって増大した。
翌三年三月、私は欧州視察の旅に上ったが、ちょうど船が台湾沖にさしかかった時、私に無線電信が入った。私は妻が病床にあるところを発って来て、絶えずそのことが気にかかっていたから、
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