るのであったから、日頃着実な地方の農家までが競って思惑株に手を出し、また土地の買占めをするものがあったりして、ほとんど国をあげて投機の熱病に罹《かか》った観があった。ところが大正八年三月の停戦と同時に物価急落し、それまで隆々旭の昇るが如き勢いであった神戸の鈴木、横浜の茂木などが、千万の富を負債にかえて没落したのもこの時であった。
しかしまた一方には少数ながら騰落に処して少しも損害を被らなかったものもあるのであって、それらの商店はどういう用意を持っていたか、大いにここは吟味を要するところである。私に言わせるならば、物価暴騰の際には何時かそれが旧態に復する日があることを予想すべきであって、その考えもなしに景気の好調にまかせて買い進み、上が上にも利を占めようとするなどはじつに愚かの極みである。物価が正常のところに復するのはいつであるか、その時期は容易に判らぬとしても、十円に仕入れたものが景気に乗って二十円三十円にも売れるなどということは決して尋常の沙汰でなく、儲かってもそれは不当利得である。すなわちその不当なる利益は別途に貯えておき、やがての反動期に備えるのが商人としての良心であり、また一
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