が三十円で買った。これなどは僅か六ヶ月の間に三倍となったのである。この浅田氏の浅田銀行が代って現在の住友銀行になった。
 また私が最初権利なしで二十八円の家賃で借りた家から現在のところへ移ることが知れると、六百円くらいの権利金なら出すからという希望者がたくさん現れた。しかし私は缶詰の知識を私に与えてくれた豊田氏の御子息が、その希望者の一人であったので、一ヶ年半の間に私が家主に支払った家賃の四百二十円でこの人に譲った。つまり一ヶ年半を無家賃で住んだことになったのである。
 しかしまさか新宿が今のようになろうとは誰しも予測し得なかったから、ある友人などは私が三千八百円という大金をこんな場末に投げ出すくらいなら、四谷の方に相当の所があるではないか、こんな所はよせと言って忠告したもので、実際その時分は四谷塩町付近が山の手銀座と称されて、市内屈指の繁栄地であった。幸いにして私の見込は違わなかったが、いろいろこうして思い出して見ると、じつに今昔の感が深い。
 新宿駅は明治四十年にはまだ今の西武電車の発着所の所にあって、やっと四間に八間くらいの至って貧弱なものであった。それが急に拡張することになって
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