ましいが、我が国の如くいまだ一般に日曜休みの習慣なくかえって商売の最も多いその日を休むことは営業上にも宜しくない上に、多数のお客様の便利を考えぬ身勝手な仕方であると思い、これは先生の忠言にも従うことが出来なかった。
 その頃日本橋通りにワンプライス・ショップという洋品店があり、また神田に中庸堂という書籍店があって、どちらも日曜を休みにしていた。私もふだん忙がしい店員に十日目に一日くらいの休みを与えたいと思いながら、それさえ実行しかねていた時であったから、商売の最も多い日曜日の休業を断行しているこの二つの店の勇気に敬服し、なお絶えず注意し、どうなって行くものであろうと見ていた。気の毒なことに私の不安な予想が当って、中庸堂は破産し、ワンプライス・ショップは日曜休みを廃止してしまった。ああ私もあの時理想を行うに急で日曜休業を実行していたとしたら、中村屋も同じ運命を免れなかったに違いない、危いことであったと思った。
 いったい基督教が日本に拡がりはじめた明治の頃は、基督教徒に一種悲壮な頑固さがあった。そういう人々は基督教の精神を外来の形のままで行おうとして、風俗伝統を異にする我が国の実状とその
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