があって、そのつど私は当惑する。自分は商家に生れたのでないから、いわゆる商家伝来の秘訣も何も知らぬ、もし中村屋の商売の仕方に何か異ったものがあるとすれば、それはみな素人としての自分の創意で、どこまでも石橋を叩いて渡る流儀であり、また商人はかくあるべしと自ら信ずる所を実行したまでのものである。したがって、自分だけが行い得られて人には行われないというようなものは絶対にない。ゆえに我が店員はもとより、かつての我々と同様、新たに商売を営もうとする人には多少の参考にもなろうかと思い、ひとえに後より来る人々への微衷よりして筆を執った次第である。
 また「主婦の言葉」は、妻が私の言い漏らしたものを追補する意味で執筆したのであって、これもすべて若き人々への愛より語るものである。妻はさきに「黙移」を著し、相馬一家の自伝的なものはそちらに述べているのであって、本書はどこまでも「一商人として」の著であることを一言しておく。

  昭和十三年六月

[#地から2字上げ]相馬愛蔵
[#改丁]

 本郷における創業時代

    郷里信州を出《い》づ

 孔子は「三十にして立つ」と言われたが、私は三十二歳で初めて
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