えも甚だ稀れになってほんとうに申し訳ないことです。
だから途中から入店した人で全然顔を見たことのないのも出て来て、毎月、月給の袋に名を書く時いつも済まない済まないと心の中にお詑びをしています。それで私は主人と相談をして、あなた方に時々宅まで来てもらって挨拶をしたり近づきにもなったり、古参の人たちとも親しみ合っておかなければ、私として安んじないのです。毎月というわけにもいかないが、店の都合のよい時に例会を催すことにしたのは、あの大震災後間もない頃であったと記憶しています。
なかなか大勢だから一時に集まることは出来ません。やむを得ず全員を七、八回にわけて来てもらい、一緒にお弁当を頂きながら、互いに自由に話すことは、昼間忙しく働いて疲れているあなた方としては迷惑でもあろうが、私には非常なよろこびなのです。いかに弁松の弁当がおいしいとしても、七、八回同じものを食べつづけることはいささか閉口するのですが、いいえそれのみならず、皆が食べ残した野菜、焼ざかな、漬物はもちろん、御飯もみな整理して、主人はじめ一家で頂くので、時々一日三回もこのおあまりをお惣菜にすることがある。が、そんな辛抱は何でもないのです。同じものを同じ食卓で頂くということは、それだけでも私にはどんなに嬉しいことか。さながら骨肉相あたため、心と心とが結びつくように感じるのです。それから和気|藹々《あいあい》たる中に各職場の苦心と労力をさらによく理解することが出来、例会より受ける功徳はじつに大きいのです。
いま一つ嬉しいことがあります。それは店員一同が差別なく雑然として食卓につき、弁当を食べるという簡単なことであるけれど、回を重ねるに従って、腰の掛けようからお箸の持ち方まで、一々誰が指図するでなく自ずと心持から整って、静かに行儀よく行われるようになり、残しても御飯とお菜とを別々に綺麗にのこす。果物の皮を床に落さず、きまりよく片寄せておく。初めはまごまごして箸を取った少年も、後には『頂きます』といい、箸をおく時は『ごちそうさま』というようになる。いつとなく皆の態度が上がって来ました。あなた方が帰って行った後、女中たちと一緒に一通り食卓をしらべて見て、私はその食卓の整然としているのに嬉しくて有難くて涙がにじんで来るのです。私たちの店員はこんなに行儀のよい子供であることを、いつも心から感謝し、なおこの上にもよかれかしと祈るのです。
開眼の降誕仏
新店員を試験する時、私は必ず『あなたの家では何の宗教を信じているか』と尋ねて見る。三分の二までは仏教という答、もちろん日蓮宗[#「日蓮宗」は底本では「日連宗」]とか真宗とか宗旨はそれぞれ違いますが。
日本の文化は昔、支那、朝鮮を通して仏教がもたらしたものであることは、皆もすでに学んで知っているでしょう。そして支那や朝鮮の文化はまた印度を母胎としています。すなわち釈尊の誕生された国が根元地というわけです。
後代仏教が既成宗教として種々の弊害を生じ、従来の信望を失い、また廃仏毀釈の憂き目に逢って、一時仏教の勢力は全く地を払った時代もあったにかかわらず、何の時代でも文化の上に仏教の恩恵に預らないことはなかったといって差支えないくらい、日本国民の魂には深く何ものかを植えつけられて来ました。昔は四月八日には仏教を信じると信じないとにかかわらず、日本中至るところで釈尊の誕生を祭りました。これはもう仏教徒だけの仕事でなく、一般に普遍して民衆的行事の一つとなっていたのです。ちょうどクリスチャンでなくとも十二月二十五日にはサンタクロースやツリーを飾り、綺麗なデコレーションを施し、これが暮の街のショーウィンドーの王座を占めるようになったと同じであります。そしてこのクリスト教とともに欧米の文化を取り入れ、それに心酔するようになってから、我々はいつとはなしに釈尊降誕の日を忘れ、クリスマスにばかり力を入れるようになり、まことに遺憾なことであります。ことに東京でこの傾向が甚だしいのです。
そこで私は今一度お釈迦様の誕生日を思い出し、全国に釈迦降誕会の行事を復活させたいと思い、昭和三年初めて降誕会を兼ねて、我が中村屋で花祭りをすることにしたのです。そして幼い頃の釈迦だんごを思い出し、さらに新しい工夫を加えて、現在行われている釈迦だんごを作り、中村屋考案の供物としました。ボース氏の母国印度で行われる「シガラ」「パイエス」等も新製して供物とし、おとくいにも提供することになりました。
毎年花祭りの頃、店でお祭りする降誕仏は大内青圃氏に託して製作したものです。故渡辺海旭師にお願いして厳粛に開眼の式を行い、供養をしました。供養の時には製作者青圃氏と令兄青坡氏、相馬家一同列席し、大導師渡辺師はじつに敬虔なる態度をもって、献香読経をして下さいましたが、居なら
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