られて、内助の功まことにお見事に、御令息御令嬢、一家をあげて同じ研究に精進せられているのはまことに驚異と申し上げねばなりません。総じて学者の仕事は地味で目に立ちませんから、一般の人には理解されにくいようでありますが、それだけ奥深く尊く、我々の文化の母胎は常にこういう専門的篤学者によってつくり出されつつあるのであります。あなた方はかような尊い学者のお仕事に対し、常に尊敬と感謝を捧げ、また鳥居先生のように一家をあげての御努力には大いに学ぶところがなくてはなりません。これを御紹介の辞といたします』
当日先生には私どもの切なる願いを容れられ奥様と御同道でおいで下され、あなた方にじつによい御講演をして下さいました。まことに御縁というものは有難いもので、あなた方もよくこの縁を思うべきであります。いまや満州蒙古の問題の重要視せられる時、三十幾年前すでに鳥居博士御夫婦が多くの危険を冒して前人未踏の奥深く入り、貴重な研究を遂げられていたということは、じつに意義深く、皆さんもそのつもりで先生のお話をいっそう感銘もって伺ったことでありましょう。
中村屋に女子を使わぬわけ
本郷から新宿に支店を設けた頃のことでした。女学校出身でパン屋をしているということが二、三の新聞で紹介され、その記事に刺激され、東京はもとより地方の婦人たちから種々問合わせがあり、私はいちいち返事を書く暇もないので困っていました。そのうち山陰地方の○○○という小さな町の娘さんから手紙で、ぜひ店において商売を見習わしてくれと懇願して来ました。私どもも慎重に考えて、容易く引き受ける気はなかったのですが、あまりたび重なり余程熱心のようでしたし、その婦人がこちらのおとくいの親戚に当るということが判って見ると、どうもお断りしかねてついに承諾してしまいました。
早速上京して私をたずねて来た本人を見ると少し意外でした。どうも商売見習いは口実で、他に何か曰くがあるらしく、果たして入店早々私の予感の間違いないことを示す行動がありました。それは医科大学生と称する従兄が同じく上京していて、その交渉が頻繁なところから店員たちの注目を惹き、ついに店員との間にも忌わしい問題を惹起したのです。まことに店としては由々しき大事で、やむを得ず退店してもらいましたが、母なる人が心配して引取りのため上京されたのに会って、初めて事情が判りました。何でもその娘は町で小町娘と評判されたものだそうで、もっとも私にはどこが美しいのか解りませんでしたが、そんなわけで身持がおさまらず、壻《むこ》を置き去りにして情夫の後を追いかけて来たのだということでした。そういうことも知らず上京の手蔓になった私は、お母様に対しても気の毒で、深く自分の軽率を恥じました。
このことがあってから私は考えて、中村屋では女店員を使わぬことに決し、いかに別懇な間柄で頼まれても、こればかりは断って来ました。
しかし三十年前と現在では時代も進み、婦人の職業も広くなり、それだけ自覚も出来て来たものとすれば、この鉄則も将来は破られる時が来るかも知れません。現在金銭登録器の前にいるもの、掃除の一部を担当しているものなど婦人もないではありませんが、これはみな店員の家族や私の親戚の者で、外から来た婦人でないことはあなた方もよく知っていると思います。
店員の情操教育
私は小学校時代から絵を見ることが好きで、したがって絵をかく人を友にし、自分は不器用で何も書けないけれど、いつとなく一通りの観賞眼は養われたように思います。本郷で営業していた頃は展覧会も今のようでなく、自分としてもずいぶん忙しく無理であったにかかわらず、上野の文展のはじまる秋には必ず時間の都合をして見に行き、こればかりは年々欠かしたことがなかったのです。
それ以前から上野の美術学校には、先代中村屋がパンを配達していた関係上、私の代になってもそのまま配達をつづけていましたが、そのパンは別に学生さんが食べるのではなく、木炭画の練習に入用なのでした。その美術学生たちが自分で店頭に買物に来ることもあって、こちらも絵の話となると夢中になる方なので、出入りのはげしい店先で不似合な立ち話などしたものでしたが、そのうちだんだん昵懇《じっこん》になって、卒業製作の絵の具料や写生旅行の費用を一時立て替えてくれというわけで、小品などを預かり、ついそのままになったものもあります。
そういうことがたび重なり、いつの間にやらいくつかの作品が手元に蒐《あつ》まり、それがまた店や居間に掲げられ、唯一の装飾となって、落着きのない騒がしい生活の中で、さながら沙漠のオアシスのような慰藉を与えてくれていました。
現在持っている絵や彫刻はほとんど新宿に来てから、それぞれ自然な機縁によって手に入ったもので、本郷時代の作品
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