するのであって、皆さんもどうか当日は心から合掌礼拝してその霊を慰め、冥福を祈って下さい。
三河の国では年に一度百姓たちが集まって、虫供養ということをするそうです。これは平常田や畑へ出て働くうち、鋤鍬の先に触れて死ぬ虫を憐み、また作物を育てるためには害虫駆除をして思わぬ殺生をするので、百姓たちの心に自ずからこの仏心が生ずるのだとききました。私たちもまことに同感です。
現れた力と潜んでいる力
江戸ツ児は総じて早熟で、敏捷で物わかりが宜しいから、入店するやただちに何かしら役に立ちます。しかし惜しいことに根気がなくて物事長つづきしません。目先のきく割合に大成しない傾向があるのです。これに反し、地方出の少年はすべて鈍重で物わかりがわるく、したがって急には役に立たないが、辛抱強くて指導さえ宜しければ[#「宜しければ」は底本では「宣しければ」]必ずよい店員になります。それをみわけて誤らぬように常に注意するのが主人や先輩のつとめであり、誰もその責任は充分感じているのですが、現れた才にはつい眩惑され勝ちなものです。
店員の間に、誰は無能なのに高給を食んでいるなどと不平をいうものもありそうだが、一見無能力者のようでも真直な人は、一家にも一商店にも一団体にも重きをなすものだということを、普通の人は知らないのかと思います。
メーテルリンクという人の脚本の中には、きっと老い朽ちた老人が、ぼんやりと椅子に腰をかけていねむりをしているのが出ています。そして血気盛りの若者たちが瞬間の後に襲って来る一家の不幸を知らずに笑い興じている時、そのいねむりをしている老人だけは予知していて、自ずと暗示に富んだ独白をする場面がある。正直な無能力者は眼に見えて有能なものより、かえって一段上のつとめをすることがあるのです。これはむろん頂門の一針、主人側の注意すべきことです。
新製品を売り出すまで
世間には自分の店で販売する品を、絶えずあれかこれかと変える人があるようです。中村屋では新しい製品を売り出すまでには、数年少なくも三、四年の月日を研究のためにかけている。例えば松の実にしても主人と二度朝鮮に行ったばかりでなく、これをいかに用いるべきかを研究するのに三年かかり、約一ヶ年というもの松の実の試験を右川学士に依頼し、そこでようやく現在のような製品を得て、自信をもって売り出すことが出来
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