学的研究によって各種のものを選び、ヴィタミンE補給のために日光によく曝してから与える。容器その他の物ことごとく清潔に洗い、鶏舎の内外塵一つ落ちていないほど清掃が行きとどいています。たまにはあなた方も誘い合わせて、千葉県木更津にこの鶏舎を見学するとよいと思います。

 中村屋牧場は乳牛十数頭を飼えるだけの最も小規模なものですが、自家製品の原料または飲用としての牛乳を得るに恥かしくないだけの自信を持っています。警視庁の調査によると中村屋牧場の牛乳には、普通乳の百分の一しか黴菌を含んでいないこと、脂肪率も三・八くらいありと証明され、しばしばお褒めに預っている。脂肪の多いのは餌が良いからで、黴菌の少ないのは搾乳の前に乳房と乳首とをよく拭いて消毒し、清潔にしてしぼるからです。しかしどんなによく乳首を消毒しても、最初に搾った五勺ぐらいの乳は有菌ですから捨てなければならない。この最初の乳が全体の乳にまじると、その黴菌はたちまち繁殖して、幾百万という菌になるのです。
 牧場主任の和田武夫氏は「黙移」の中に書いている通り一風変った経歴を持ち、なかなか面白い人物ですが、この人のいうところによれば、牛を飼うには人間に対すると全く同じに慈悲と親切をもってしなければならない。それでこそ牛も初めて素直になり、穏やかに人間の意に従う。実際牧夫が乳房を搾っても牛は乳量をたくさんに出さないが、主任が手をかけて搾ると気持よさそうに眼を細め、じいっとしていて濃厚な良い乳を多量に出します。牡牛は気が荒くてなかなか牧夫のいうことを聞かないものですが、もしこちらで腹を立てて打ちなどすると、その一度だけで、もう良い牛にはなりません。中村屋の牡牛が牝牛のように柔和従順であるのは、ひとえに和田主任の愛育によるものであることを知らなければならない。
 中村屋牧場はこうしてたしかに牛の平和郷ですが、ここにもいたましい犠牲を出すことがあります。それは生れた牛が牡牛であると、しばらく飼い育てた上、食用として人手に渡さねばならない。また怪我をしたり、子を生まなくて乳牛の用をなさぬようになればこれも屠殺場に送られる(病牛や斃死した牛は食用として許されません)のです。
 こう考えて来るとあなた方の胸にも、人に栄養を提供してたおれて行く生物のいたましさを感じるでしょう。年々増上寺における動物供養は、私どもの生物に対する追善の心より
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