に比して内容技巧二つながらすぐれたものであることは、画面のサインによっても判ることでしょう。ことに故荻原碌山の彫刻絵画、故柳敬助氏(この方は販売部主任山田健三氏の従兄でした)、故中村|彝《つね》氏等いずれももとは中村屋の屋敷内に起臥し、食卓を共にした人々であり、じつに堂々たる美術家揃いでありました。詳しいことは「黙移」の中で述べています。
 いま喫茶部で使用しているブロンズの灰皿は、私の希望で碌山氏が粘土で作りかけ、出来上がらぬうちに氏は世を去りましたので、友人たちが故人の触《タッチ》を毀わさず残そうと、未成品のままブロンズにして永久に作者を偲ぶことにしたのです。鋳造を同郷の人山本安曇氏に依頼する時、碌山の遺族に二個、相馬家に二個、ほかに中村屋の分として一号より二十五号までナンバーを裏面に打ちこみ、非売品として喫茶部に備えたのでしたが、いつのまにか一個減り二個減りして、現在は十個ほど不足になっています。誰の手に持ち去られたものか、花ぬすびと同様ゆるしてのみいられぬところもあり、また失われるごとに係の者が責任を問われるので、最近は宴会の席以外には出さないことにしてしまいました。まことに不本意ではあるがやむを得ない次第であります。
 その他国宝とも称すべき頭山翁が書いて下された幅、かつて支那の大総統をした曹※[#「金+昆」、第4水準2−91−7]の一筆の虎、支那僧密林師、犬養翁、また私の恩師渡辺海旭上人の偈文、現満州国皇帝の溥儀執政時代の御手蹟、小川芋銭氏の狐の嫁入り、良寛の扇面掛軸、明治大正昭和を通じてそれぞれ有名無名の人の優秀な油絵、チベットの喇嘛《ラマ》僧リンチェンラマより頂いた西蔵の貴重な経文等々、こう書きならべて見るとあなたがたにはことごとく見覚えのある懐しいものばかり、それが折々かけかえられることもみなよく知っているでしょう。
 そればかりでなく、中村屋の家具什器等々、豪華を誇るようなものは一つもないが、どの品だって価が安いから体裁がいいからといって手当り次第に買い集めたものではないのです。椅子テーブルの如き家具類にしても相当に心を払い、クロース、食器、掛紙、紙袋等、何かしら私たちの気持を含ませ、自ずとそこには一つの好尚《このみ》が現れている筈です。あるいは我々の道楽と簡単に見てしまう人もあるでしょうけれど、それにしてはあまりに犠牲が大きすぎるのです。
 人
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