職長だとはきめられない。職長の中には事なかれ主義で、部下の過失を見逃し、遅刻、欠勤などの場合にも、厳重に注意を与えることをしないものがある。無論そうしてあれば、部下には寛大な職長としてよろこばれるのであろうが、実は甚だたよりにならぬ職長である。こういう職長の下についた青年は、まるで温室の中で伸びる草花も同然で、将来世間の競争に堪えて行くことが出来ない。無論部下に対し厳に過ぎるのはよろしくないが、寛に過ぎて人を鍛えることをしないのは親切とは云えぬ。それでは後輩を指導するとは云えぬのであります。
また非常に勤勉で、常に率先して、脇見もせずに働く職長がある。これは部下に勤勉の活きた手本を示すもので、たいへん結構なようであるが、実際には、これがいっこう他の手本にならないことが多いのです。こういう職長は仕事の中のむずかしい所は、人に任せないで自分がやってしまっていて他に眼がとどかぬのをよいことにして、横着な者は自分の受持を怠り、職長自身は一生懸命働きながら、全体として見るとかえって能率が低下するという妙な現象が起ります。こういう働き人は一職人として模範的なのであって、職長としては決して上々とはいえません。やはり職長という地位に立つからには、部下をよく使うことが第一であって、各自の長所短所を知って、これを人によって然るべく教え導き、適宜に按配して能率の増進を計るべきであります。
職長はまた、自分の知識を絶えず養い、時代に後れぬようにしなくてはならない。職長となるまでには相当苦労を積まねばならないから、たいてい四十代から五十代という年齢で、部下の青年の方が新しい教育を受けているから、学問の程度では職長の方が落ちる場合が少なくない。ちょうど家庭で高等の教育を受けた息子や娘が、両親の時代遅れを笑うのと同様に、職長も何時部下から突込まれるかも知れません。それでは互いに面白くないから、職長ともなれば少なくとも自分の従事する仕事に関する範囲では日夜注意して知識を養い、一歩も人に譲らぬだけの自信を持つことが大切であります。
以上、私は職長として六つの場合を注意したが、まずこれで職長学の卒業はやや近づいたものでしょう。しかしまだ一つある。職長は部下に対してあくまで公平でなくてはならない。自分の好き嫌いで部下を分け隔てしたり、自分がつれて入った者を引立てて前からいる者を継子扱いするなどのことがあっては、部下を統一することが出来ないので、仕事の成績も上がらない。絶えず反省して感情にとらわれることを避け、公平に考え導くとともに、主人にも部下を公平に待遇してもらうよう、正しい報告をするように努めなくてはならない。まずこれで職長学七ヶ条となりましょうか。どうか諸君も心がけて、他日人の上に立つ時のために修養し、いよいよ人格的に向上することを希望します。
成功の三要素
[#地から3字上げ]昭和十一年十二月中村屋歳末例会において
歳末に[#「歳末に」は底本では「歳未に」]際し、例によって諸君に一言挨拶を述べようと思う。本年のわが中村屋の成績は前年に比し、一割五分の増進を示しました。全く諸君の勉強によることと深く感謝いたします。
私はこの間労資協調会に招かれて行ったが、そこでたいへん面白い話をきいた。これは諸君の良い参考になるからぜひ話そうと思って、実は今日を待っていました。この話をしたのは当日来会せられていた三井報恩会の遊佐敏彦という人で、神戸の夜学校にて、三十年間におよそ五万人の生徒が教えを受けた。その五万人のうち名をなしたものが二百人ある。この二百人について、その成功の基となったものは何か、きっとそこに共通するものがあるに違いないと調べて見て、三つの要素を発見しました。その一は「一業に専心すること」第二は「同輩より一歩を先んずること」第三は「報恩感謝の念篤きこと」であった。二百人がちゃんとこの三つを持っていたのであって、このうち一つ欠けても成功しないことが判ったという話。私はこれを聞いてなるほどと思った。夜学校の生徒といえば経済的には恵まれぬ境遇で、その点諸君と似ています。真剣に誠実に働いて、それが自然にこの三つの要素となったのであって、何も箇条書にして実行したわけではなかろうが、私はこの一つ一つについて少し話して見ましょう。
一業に専心すること
何でもないことのようだが、これがなかなか容易でない。他人の仕事は面白そうに見えて、自分の仕事はつまらなく見えるのが一般人の常です。そこで仕事を変える。この移り気が禍いして一生をだいなしにする者がどのくらいあるか判らない、ちょうど女の子が嫁入りすればその初縁を守ることが大切で、もし我儘を言って出戻りすると、つぎつぎと劣ったところへ嫁ぐようになって、悲惨な最期に達する。それと同じで、男子も最初に目的を立て、修業に就いたら、中途で他業に変ってはならない。せっかく少し手に入りかけた仕事を捨てて他に移れば、そこでまた一年生から始めねばならず、最初からその仕事をしている者には幾分か遅れて、その差は一生取返しがつかない。稀には天分他に勝れて、何をしても人の上に出るものもあるが、そういう人はまた世間みな馬鹿に見えて、自分ならば往く所可ならざるはなしと自惚れ、あれもこれもやって見て、ついに一生何事にも徹底せず、中途半端で終ることが多い。俗に器用貧乏というて貧乏がつきものなのも、この才人は才に任せて、あれこれ移り、一つに集中することが出来ぬからであります。たとえ天性鈍で、はかばかしい出世は望まれなくても、一事に従うて逆わず、その仕事に一生涯を打込むならば、独自の境地に自然と達するものである。とにかく途中であせって商売がえをするほど愚にしてかつこれくらい大なる不経済はありません。
朋輩より一歩先んずること
一歩を先んずるというところに諸君の疑問がありはしないか。何も一歩と限らず五歩も十歩も、先んずればよさそうに思われるであろうが、実にこの一歩という点がきわめて大切なのである。人の能力は人の身長の如きもので、奇形的な力士等は別として、彼は驚くほど背が高いと言ったところで僅かに五六寸の違いに過ぎない。まず一割くらいが関の山で、如何に奮発しても朋輩から一歩も二十歩も先んじられるものではありません。もし強いて先んじようとすれば、後日に至ってかえって遅れる。私が青年時代のこと、富士山に登るのに健脚の自信があって、白衣の従者を追い抜き頂の方に素晴しい勢いで登って行った。ところが八合目になると急に疲れて休まねばいられなくなった。休んでいると先ほどの白衣の道者が急がず焦らず悠々とした足取りで通って行く。これではならぬと私も勇を鼓して登って行ったが、頂上に達した時は従者はもう早く着いて休んでいた。世の中のことはすべてこれだなと思って私もその時は考えたが、家康の教えにも、「人生は重き荷を負うて遠き道を往くが如し、急ぐべからず」とあります。実に名言だと思います。
では一歩先んじようとは何であるか、遅れていても結果において早ければよいではないかと言ってしまったのでは話にならない。一歩を先んじよというのは、常に緊張して努力せよというのであって、その結果は必ず他に一歩を進める事となる。すなわちこの一歩一歩は富士の山麓から山頂までつづけられる努力であって、それは決して私がやったように一時人を出し抜く早足ではない。誰を負かすのでもない。ただ正当なたゆまざる努力である。たとえば我が中村屋の店員の中に定めの時間より一時間も早く出勤する者があるとする。私は決してそれを褒めません。多勢が一緒に働く場合は、一二の人だけ特別に早く出ることは朋輩を無視したやり方で、朋輩の感ずるところもよろしくない。人間は持ちつ持たれつの協同生活で、好んで他を心苦しくするようなことはしてはならない。まして一人だけ早く出勤して精励ぶりを認められようとする心事だとすれば稚気憐れむべしだ。とうていこんなことで成功は得られぬのである。
しかし朋輩よりおそくなることは断じてよろしくない。諸君の中にもたびたび遅刻して罰俸を受けるものがあるが、定めの時刻に遅れては定刻に出勤する人に対して相済まぬばかりでなく、左様に緊張を欠くことでは、生涯人後に落ちてうだつ[#「うだつ」に傍点]が上らん。以前店によく泣き言をいう職人があって、朝晩に「忙しくて困る。この家のように仕事の多いところはない」と愚痴をいうので、私も我慢が出来なくなって、それでは仕事の少ない閑な店へ行くがよろしいと退職を命じたが、こんなふうに仕事泣きをする人に成功したためしはありません。諸君も新年からは一人も、遅刻せぬよう、めいめい五分十分早く店に着くようにして、定刻には店員全部が揃うて仕事にかかり、将来《ゆくゆく》は皆が皆揃うて成功者となることを希望するのであります。
報恩感謝の念篤きこと
これは徳富先生もお話下さった通り、有難い、忝《かたじ》けない、もったいないという心持のあるものは、物を扱うても粗末にせず、人に対しては丁寧であり、自分自身も満足であるゆえ、神にも人にも愛されることとなる。しかるに世には不平家なる者があって、主人に対しても、朋輩に対しても、世間に対しても常に不足不平のほかなく、しまいには自分自身にまで不満を感じて自暴自棄に陥る。従ってその行動は破壊的で世にも人にも容れられない。こういう人は報恩感謝の念なきに原因するのであって、まことに気の毒なものであります。
諸君はどうかこの三点に注意し、希望を持って着々進まれるよう、私はこの中から一人の落後者も出ないことを祈るものであります。
勘定合って銭足らず
「勘定合って銭足らず」ということがあるが、諸君が独立して新たに店を持つか製造を始めるかすれば、一度はきまってこの経験をするであろう。勘定合って銭足らず、計算が判然せぬようでは何をしても失敗するにきまっている。元来勘定の結果と金銭の高とは必ず一致すべきはずであるのにそれが合わないとすれば、計算が粗雑である種の経費の損耗を見落しているとせねばならぬ。また知らぬ間に盗まれたか失ったか、その辺のところも注意せねばなるまい。ここに参考として自分の見た二三の実例をあげて見よう。
これまで職長として百円位の月給を取っていた者が独立して店を持つ時、当人はもとより、周囲の者も口を揃えていうことだが、店を持って自分が働けば職長を雇わなくても済む、職長の月給の百円だけは経費の中から助かるから製品を一段と安価に提供することが出来てそれだけでも、もう前途有望のわけだと。
これは自分が月給を取っていた者として一度思いこむことであるが、実はこのくらい甚だしい認識不足はないのである。自分が単に職長として主家から俸給を受けていた時は生活もその範囲内で済み、またぜひともそれで賄わねばならなかったのであるが、自身主人となって一つの店を構えて見れば生活がかえって上るのは当然で、また日々売上げがあって、誰のゆるしがなくても自由に出し入れ出来るとなれば、職人時代より支出が増加するのはたいていの場合あたりまえとせねばならない。従って最初の楽観は間違いで、この違算から新店は必ず失敗となる。
私の知人に外国貿易をしている者がある。収支ようやく償うくらいの商売であったが、昨年その子息が商科大学を卒業すると、番頭を解雇して子息をそれに代らせた。その時私にこれで一年約二千円の余裕が得られるという話であったから、私は彼に警戒して、大学出のお坊ちゃんは仕事は番頭の半分も出来ないでいて、小遣い、旅行費、自動車代など番頭よりはるかに多く使うものだ、気をつけないと二千円の余裕どころか、反対に二千円不足するかも知れんと言っておいた。この頃逢って見ると果して私の言った通りであった。
かつて私が玉子パンの製造実費計算を、その職長に命じたところ、やがて調べて出したのを見ると製造出来上がりの分量が、小麦粉、砂糖、バター、玉子などの原料と全く同量に出来上がっており、この売価は原料代のちょうど二倍になるという利益報告であった。ところが事実そんなは
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