れ、貴様から一度もものを買った覚えがない、毎度有難うとは何事ぞと戸も荒らかにピシャリし切って奥へおはいりになったとか、これ店員の憤慨談であった。いずれ常識を欠いている当世の学者でもあったろう。
 またある令夫人は御自分の御機嫌のわるい時、あるいは家内に混雑なことでもある時、電話で注文があるとその時電話係に当った店員こそ迷惑である。如何に顔の見えない電話であるといえ理由なく叱りとばされて挨拶に困ることがたびたびある。自分も一度このお叱りに出遇ったが、あまり愉快なものではない。またある人は配達小僧をつかまえて、下女の代りに水を汲ませたり、使いにやったり勝手なことをする。
 中にはまた、壜詰缶詰などの口を切って売物にならないものを引取れという人がある。ことにコンデンスミルクなどのように、一缶について三厘もしくは五厘の手数しかない薄利のものを、不用になったから引取れの、価を引けという難題を持ちかけられて、商人が立ち行かれるものであろうか。これより甚だしいのは半日か一日ぐらいしか保たない生菓子を注文しておきながら急に不用になったという場合。あるいは食パンなど急に追加注文になって我が店だけでは間に合わないので諸所の同業者間を歩いてようやく間に合わし、お得意の便宜を計って差上げたのに、もう不用になったとて一言の謝辞もいわぬのみか、その品に難くせつけて突っ返されることがある。こちらはこういう場合も日頃の愛顧に対して引取らないわけにも行かず、さりとてみすみす全部の損失を招くことは商人として非常な苦痛である。しかしその得意に向って、一応詳しくその事情を陳じ、それでも先方が商人の損耗を省みない時は、泣く泣くその品を引取らねばならないのである。自分はこのような得意を捨てるに弊履の如くあれと店員に命じておくのである。
 ある有名な富豪を得意とし、いわゆるお出入り商人の仲間となったことあり、月々数円以上の御用命は、パン店としては上等の客筋といわねばならぬのであった。しかるに何故か店員はこのお屋敷に御用伺いに出ることを好まない。先方よりは電話で御催促があるので、やむを得ず渋々と出て行くというふうである。自分はこれが不思議でならないので、小僧頭を呼んでそのわけを詰問して見たが、答は左の如くであった。我等小僧としてたびたび主人の厳命にそむき、またお得意に対してしばしば間を欠き、不便をかけて申し訳がございませんが、実はあのお屋敷によって毎朝その日その日の御用を伺いますのに、非常に手間がかかって困るのでございます。まず係の勝手女中より中働きに達し、奥女中を経てお上(近来俄分限や勿体ぶる官吏の家庭にては女中や下男をして御前あるいはお上と呼ばせる)に御用を伺って来るために、早くも三四十分、おそい時は一時間ないし一時間半待たされる、しかし多少とも御用のある時はよろしゅう[#「よろしゅう」は底本では「よろしう」]ございますが、待った上でないといわれた時は実に泣きたくなります。雪風の寒い日にも火一つない土間にぶるぶる慄えながら印袢天一枚で一時間も待たされては実にやりきれません。これは私どもの忍耐の足りないところと致しましても、そのために他のお得意廻りが遅れて、よそ様へ不都合になり、その上店に帰ると御主人からはちと手間が取れ過ぎるとお叱りを蒙ることとなります。実にこんな時は頭の中がムシャクシャして、狂人のようになることがございます。また支払日など弁当持参で半日以上もお屋敷一軒のために費さなければ御勘定が頂けないのです。そういう時も他の掛取りが時間が後れて取れないため、私どもが途中で油を売っていたかのように御主人から誤解されたこともたびたびありましたが、たいがい事情は右の通りでございますので、自然あのお屋敷に上ることを好まないようになったのでございます、と、自分はこの事実を聞き取った翌日より、断然この屋敷への出入を中止した。
 これはその家に出入りする商人のすべてが異口同音にこぼしていることであるが、得意を一軒失う悲しさにいやいやながら皆出入しているのであった。
 お得意がかく身勝手にして傲慢の風あるは畢竟東京の商人の卑屈さに原因するのであって、商人それ自身の罪である。東京は昔から高位高官の人、大名華族が住んでいて大威張りをしていた歴史つきの所であるから、これらの人々を相手の商人は、勢いその圧迫を受けて阿諛するようになり、御無理ごもっともで相手の我がままを通させるようになったのである。文明を誇り自由平等をよろこぶ今日、なおこの蛮風は少しも改まらずして、商人は依然卑屈なる幇間的行為を持続しているのである。これに反して、関西地方ことに大阪商人の見識の高いことは素晴しいものである。第一流の旅人宿や料理店では紹介がなければ客を通さないということである。これは大阪は商人が経済界及び社会上の主位を占めて居り、官吏や貴族の跋扈《ばっこ》を許さざるゆえである。東京商人たる者、今にして大いに省るところなくば、将来の大発展は覚束ないのみならず、常に大阪商人の下風に立たざるを得ないであろう。

    商人としての盆暮の物品贈答

 東京では商人が日頃の得意に対して感謝の意を表わすために、年々盆暮の二回に必ず物品を贈る習慣がある。得意の方でもこれを当然として催促する家さえある。しかし日頃充分精を出して勉強する店は実際年二回たとえ僅かたりとて得意全体に物品を贈る余裕はないのである。しかるにこの旧慣を改め得ざるは何となく体裁がわるいのと、急にこの習慣を廃することによって得意を失いはしないかとの姑息な思い煩いからであって、何も確かな根底があるわけではない。
 当店が取引をしている問屋で、日常勉強する店は必ずこの使い物がけちであるが、不勉強である店に限り日頃取引している金額に対して過ぎるほど立派な金目の品物を持って来る。あるボール箱屋はまだ取引をしていないにもかかわらず、何とかして得意にしようと年末使い物を持参した。もとより取引もないのに受取る筈もなく拒絶したが、無理に店先において帰ってしまった。その再び注文を嘆願されるので、せん方なしに少しの折を注文した所が、その仕事は不親切で品物は弱く、自分の店としては使い道がないくらいであった。無論一回ぎりでその後再び注文はしなかった。
 また出入りの※[#「飮のへん+稻のつくり」、第4水準2−92−68]屋の主人は有名な頑固屋であるが、他の製※[#「飮のへん+稻のつくり」、第4水準2−92−68]所では普通白※[#「飮のへん+稻のつくり」、第4水準2−92−68]の原料は芋を混合して製し、純粋の白|豌豆《えんどう》を用いないものであるが、この人は正直で白豌豆を使用している。それゆえ代価も他よりは幾分高い。そして我が開業以来の取引であって、他より如何ほど[#「如何ほど」は底本では「加何ほど」]安価でせって来てもかつて一度も取ったことがないほど彼を信用しているが、彼は年末年始等の使いものを持って来たことがただの一回もないのである。そして稀れに今少し価を安くしないかなどと相談を持ちかけると腹を立ててブリブリして、とんと話がまとまらないけれども我々は彼の製品を信用して使っているのである。
 すべてかように概して品質を精選して勉強する店は、全く使い物などをする余裕がないのであって、得意もまた日頃親切に正当な品物を勉強していれば、それが盆暮の贈り物の有無くらいで機嫌を損じるなどということはあるまいと信ずる。彼の輸出商で有名な森村左市衛門氏は出入りの商人から決して贈り物を受けないという規定を作って実行していると聞く。もし贈り物など受けて情実にからまれ、粗悪な品物をも大目に看過するという弊が起る。得意は不親切になり、店の信用を欠く原因となるから、受けぬことにきめてあるということであるが、真によき心がけと思われる。一般の商人得意ともに森村氏の心がけを持ってもらいたきものである。

    商売の快味

 田舎の人が都に来て、我等が堂々として小売商売をしているのを見て、つくづく嘆声を残してかような狭苦しい所で、あまり儲かりもしない商売をして、年中あくせくとして何が面白いのであるか、このくらい田舎で働いたならば、年々財産が殖えるばかりである、というのである。しかり彼らがいう如く、何が面白いのであろうか。自分等にも分らぬのであるが、商業は一種の道楽であって利害得失のほかに面白味がある。時々二食で店番をすることもある。また徹夜しても約束の時間までに菓子を製造して届けねばならぬこともある。あるいは原料が高くなって、収支償わないことがある。同業者と競争をして打撃を受けることあり、あるいは店員に不都合なものが出たり、内憂外患これではもう往生するよりほかはないと思うことがある。ことに好きな読書時間がないのが何より不平であって、精神上しきりに一種の渇望を感ずる。しかしその多忙で一寸の暇もない内に時を見出して、半ページ一ページの読書をなす時は、実に愉快この上なく、ことに月末の一週間は勘定しらべのために費さねばならないが、これが済めば全身綿の如く疲れる。肩も張る。そこで半日の休みを頂いて心身に休養を与えるもよいが、さらに我が慰めは読書である。ゆえに他より見れば非常な苦痛のように見えるが、自分はさらに苦痛を感じない。これはつまり仕事に変化があって、その変化が肉体と精神に慰藉を与えるからである。休むということは室の中に寝ころぶばかりをいうのではない。変化をつけることである。ゆえにこの東京で変化の多い生活をしたものは、田舎に引込んで単調の生活は出来にくいのである。空気が新鮮で閑静な田舎に行き、一日や二日ぐらい気保養することは面白いが、久しからずしてあまり変化がなくて無事に苦しむのである。これひとり我々の経験ばかりではない。一応都の生活を送った人は必ず同感であるだろう。世に無事安逸なほど苦痛なことはない。戦いの大きく必死の努力を要するほど快味いよいよ加わるものである。



[#地から1字上げ](「私の小売商道」高風館・昭和二十七年初版刊)



底本:「相馬愛蔵・黒光著作集4」郷土出版社
   1981(昭和56)年6月5日初版発行
底本の親本:「私の小売商道」高風館
   1952(昭和27)年11月25日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
※誤りを疑った箇所は、原則として正しいと思われる形に書き替えた上で、底本の形を注記しましたが、以下は「ママ」とするにとどめました。
○「和気藹々」は、底本でも、底本の親本でも「和気靄々」で通っていたので、これが著者の意図した表記と考え、「ママ」としました。
○底本は親本にみる「膏盲」をなぞった上で「こうもう」とルビをふっていました。正しい形として、「膏肓《こうこう》」を選ぶか、「膏肓《こうもう》」とするべきか、判断が付かなかったので、「ママ」としました。
○「しかうして」は底本の親本では、「然して」です。正しい形を選ぶ際、親本にそって「しかして」とするべきか、底本のみを考慮して、「しこうして」とするべきか、判断が付かなかったので、「ママ」としました。
※「高等実業学校卒業者の職業別」で、合計の数字が合わないのは底本通りです。
入力:門田裕志、小林繁雄
校正:富田倫生
2004年12月11日作成
青空文庫作成ファイル:
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